免鳥村
めんどりむら
[現在地名]佐野市免鳥町
旗川の左岸、才川の右岸に位置し、北は並木村。「佐野宗綱記」によると、天正年間(一五七三―九二)佐野方の免鳥城は小田原北条方の長尾顕長の攻撃を受け落城した。この合戦は同九年のこととされる。同一一年頃のものと推定される一二月二一日の近藤綱秀書状(坂本武雄氏所蔵文書)では、佐野氏を支援する佐竹義重が「面鳥之地」に出陣することが報じられ、当時この地が対立する北条・佐竹両氏の最前線であった。
免鳥村
めんどりむら
[現在地名]福井市免鳥町
村の北側には三里浜砂丘が広がり、日本海に面する。浜街道に沿う村。慶長三年(一五九八)の越前国西方塩浜御検地帳(広浜家文書)に「めん鳥村」とみえ、村浜は九四間半、名請人は五郎左衛門と三郎右衛門、「かま 四ツ」とある。江戸時代になると大野城下(現大野市)まで塩を運送しており、明和六年(一七六九)の三里浜入会之場所担証文(上田家文書)によると、三里浜に入浜権をもって鰯漁も行っていた。また塩浜御検地帳に「おさか村」があってその村浜は四三間、名請人は助右衛門、「しほかま 弐ツ」とあるが、江戸時代の郷帳には村名はみえず、隣村大窪村に接した当村地籍内に通称大坂があり、この付近にあったものかと思われる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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