児島五流(読み)こじまごりゅう

改訂新版 世界大百科事典 「児島五流」の意味・わかりやすい解説

児島五流 (こじまごりゅう)

岡山県の児島半島の新(いま)熊野権現(倉敷市林)を拠点として,中世,近世期に勢力を持った熊野系修験。平安時代末ころ児島には熊野神領があり,熊野権現が勧請され,熊野山伏の拠点となっていた。その後承久の乱のとき,後鳥羽上皇皇子頼仁親王がこの地に配流され,その5人の皇子が尊滝院,太法院,建徳院,伝法院報恩院の5家をたてた。この5家の子孫が新熊野権現を中心として活躍したので児島五流,五流修験,公卿山伏といわれた。児島五流は,熊野三山になぞらえて児島に本宮新宮那智の三山をまつり,中国・四国地方に(かすみ)を持って本山派修験内で大きな勢力を持っていた。《太平記》の作者はこの児島山伏ともいわれている。現在は,児島五流は五流尊滝院を総本山として〈修験道〉と呼ばれる教団を形成している。
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