岡山県南部,瀬戸内海に面し,児島湾を抱いて東西にのびる半島。《古事記》の国生み神話に〈吉備児島〉とあるように16~17世紀まで島であったが,高梁(たかはし)川,旭川などの堆積作用と,浅くなった海の干拓により本土と結びついた。半島になってからは瀬戸内海航路が南岸へ移り,下津井,日比(ひび)が港町として栄えた。大部分が山地で,東部にある主峰金甲山(403m),中部の常山(307m)などの古生層から成る中起伏の山地と,花コウ岩や流紋岩から成る標高200~270mの小起伏の山地,および標高150~190mの丘陵から成る。一部を除いてはげ山が多く,バッドランド(悪地)地形も見られる。これは江戸時代から製塩燃料として森林が乱伐され,花コウ岩の風化が促進されたためで,現在は緑化に努力が払われている。金甲山を含む東部の山塊(光南台),南部の王子ヶ岳,南端の鷲羽山はいずれも瀬戸内海の絶好の展望台である。中央部に瑜伽(ゆが)山蓮台寺,北側に熊野神社などの古社寺がある。現在,半島東部は玉野市,北東部は岡山市,西部は倉敷市に属する。児島(倉敷市)は本四連絡橋瀬戸大橋ルートの拠点をなす。西岸の水島(倉敷市)は臨海工業地域として発展している。
執筆者:由比浜 省吾
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
岡山県南部中央、瀬戸内海に臨む半島。かつては大きな島であったが、近世初期に陸繋(りくけい)化した。主として花崗(かこう)岩の丘陵性の山地からなり、平地は乏しい。近世以来塩田の燃料として樹木が伐採されたためはげ山が多かったが、第二次世界大戦後緑化が進められた。西部の由加山(ゆがさん)には自然林が残り、倉敷市少年自然の家がある。東半の山塊は光南台とよばれ、主峰金甲山(きんこうざん)や鷲羽山(わしゅうざん)は瀬戸内海国立公園の一部で絶好の展望台となっている。半島の東半部は玉野市、北東端は岡山市、西半部は倉敷市に属し、西岸は水島臨海工業地域の一部。倉敷市児島は機業地、玉野は造船の町として知られる。
[由比浜省吾]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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