朝日日本歴史人物事典 「入江九一」の解説
入江九一
生年:天保8.4.5(1837.5.9)
幕末の長州(萩)藩の尊王攘夷運動の志士。運動の幹部,激派。名は弘毅,字は子遠,通称杉蔵,九一。足軽の家に生まれ,吉田松陰の門下生となり,尊王攘夷の運動に参画した。安政6(1859)年,松陰が門下生から孤立したのちも志を継いで活動し,弟和作と共に藩によって投獄された。文久3(1863)年,尊王攘夷に転じた藩によって終身士雇に登用された。同年,高杉晋作らの下関での奇兵隊設立に加わり,元治1(1864)年,京都禁門の変に上京藩士の幹部として活動,鷹司邸内で戦い,飛弾により重傷を負い,切腹した。
(井上勝生)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報