ジェラール
François Gérard
生没年:1770-1837
フランス新古典主義の画家。母がイタリア人でローマに生まれる。12歳のとき家族とパリに出,彫刻家パジューAugustin Pajouのアトリエなどで素描を学ぶが,1785年のサロン(官展)に出品されたダビッドの《ホラティウス兄弟の誓い》に感動し,弟子入りする。しかしジェラールは師のもつ英雄的な力強い側面よりも,優雅で冷たく整った美しさに優れ,ナポレオン,次いでルイ18世の宮廷画家として活躍し,首席画家(1817)と男爵(1819)の称号を得るなど,名声をほしいままにした。
執筆者:馬渕 明子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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ジェラール
Gerhardt, Charles Frédéric
[生]1816.8.21. ストラスブール
[没]1856.8.19.
フランスの化学者。 J.リービヒ,J.デュマなどの実験室で学んだあと,モンペリエ大学に移り (1841) ,同大学教授 (44) を経て,ストラスブール大学教授 (55) 。 1839年,有機化合物について分子式を重視し,有機化学の体系化を提唱した。また,A.ローランとともに有機化合物の分類を行なった。これら理論的研究のほか実験的研究も多い。
ジェラール
Gérard, François (Pascal-Simon), Baron
[生]1770.5.4. ローマ
[没]1837.1.11. パリ
フランスの画家。新古典主義の画風による肖像画,歴史画にすぐれ,石版画も制作した。初め彫刻家 A.パジュー,次いでダビッドの弟子。ブルボン家の宮廷画家となり,多くの貴族の肖像画を描いた。代表作『キューピッドとプシケ』 (1798,ルーブル美術館) ,『王妃マリー・ルイーズ』 (99) 。ルイ 18世によって男爵位を授けられた。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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ジェラール Gérard, Alfred
1837-1915 フランスの技術者。
1837年3月23日生まれ。元治(げんじ)元年(1864)ごろ来日。明治3年現在の横浜元町公園で肉屋を開業,また港内の船舶に飲料水を売る給水業などをはじめる。同地で自分の名と製造年を刻印した煉瓦(れんが)や瓦(かわら)を製造し,ふらんす煉瓦・瓦とよばれた。日本でつくられた西洋瓦の第1号という。明治6年刻印の瓦が現存する。1915年3月15日死去。77歳。ランス出身。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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ジェラール
没年:1915.3.15(1915.3.15)
生年:1837.3.23
幕末明治期に来日したフランス人技術者。フランスのランス市生まれ。元治1(1864)年ごろ来日。横浜で軍用日用品供給業,肉屋,船舶給水業,煉瓦製造業を営む。特に明治8(1875)年に設立した煉瓦・瓦製造工場で製造された煉瓦・瓦には,彼の名を示す大きな刻印が打たれており,ジェラール煉瓦・瓦と呼ばれる。<参考文献>中武香奈美「ジェラールの出生・死亡証明書」(『開港のひろば』)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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ジェラール
ジェラール
Gerhardt, Charles Frédéric
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
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出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内のジェラールの言及
【ゲルアルト】より
…ストラスブール生れのフランスの有機化学者。一般にジェラールと発音されているが誤りである。モンペリエ大学,ストラスブール大学の教授を歴任。…
【ヨハネ騎士団】より
…正式名は〈エルサレム・聖ヨハネ救護騎士修道会〉。11世紀末南フランス出身の修道士ジェラールGérardが聖地巡礼用救護所として創設し,1113年教皇パスカリス2世の教書で公式に認可された。アウグスティヌス会会則に従い,[テンプル騎士団]と功績を競いながら十字軍戦士として中近東各地で戦うと同時に,傷病者の看護や貧しい巡礼の救援にあたった。…
※「ジェラール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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