日本歴史地名大系 「八木庄」の解説 八木庄やぎのしよう 兵庫県:養父郡八鹿町八木庄円山(まるやま)川の支流八木川の中流域にあった皇室領庄園。庄名は古代の養父郡養耆(やぎ)郷(和名抄)に由来し、現在の高柳(たかやなぎ)から上流、関宮(せきのみや)町東部一帯に比定される。「但馬考」は養耆郷の村数を一一とし、高柳・市場(いちば)(八木)・今滝(今滝寺)・三宅(みやけ)・大谷(おおたに)・万久里(まくり)の六村を須田庄、尾崎(おさき)・関宮・吉井(よしい)・中瀬(なかぜ)・出合(であい)の五村を羽山庄とするが(三宅以下八ヵ村は現関宮町)、須田・羽山の庄名は中世にはみられない。弘安八年(一二八五)の但馬国太田文には「八木庄 六十壱町二十歩」とみえ、「悲田院領」「領家方丈沙汰」「地頭八木又三郎入道覚円、御家人」と注記があるが、庄田の内訳記載はない。 八木庄やぎのしよう 奈良県:橿原市八木・今井地区八木村八木庄明応七年(一四九八)の春日若宮供米料所注進(春日神社文書)に<資料は省略されています>とあり、春日若宮社領で、一反につき一斗一升の神供米を上納。所在は荘号などから現八木町を中心とした地域に比定される。「春日社記録」中臣祐重記の寿永二年(一一八三)正月一五日条に「八木庄」がみえ、以後毎年同日に御神供を備進しており春日社領でもあった。また、春日進官領大和諸郷納高帳(天理図書館保井文庫)には「合三斗 越智郷方八木領大西領」ともあるが、この春日社進官領の大西(おおにし)領の所在は飛鳥川に沿った今井領田畠に比定される(近世の今井周辺絵図)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by