八木秋子(読み)ヤギ アキコ

20世紀日本人名事典 「八木秋子」の解説

八木 秋子
ヤギ アキコ

大正・昭和期の婦人運動家



生年
明治28(1895)年9月6日

没年
昭和58(1983)年4月30日

出生地
長野県西筑摩郡福島町(現・木曽福島町)

本名
八木 あき(ヤギ アキ)

学歴〔年〕
松本女子職業学校本科〔明治45年〕卒

経歴
東京日日新聞(現・毎日新聞)学芸部記者のあと、昭和初年高群逸枝らと雑誌「女人芸術」に拠って女性解放の評論活動を展開した。この間マルキシズムの影響を受け、日本俸給生活者組合に参加。間もなく宮崎章らを知りアナキズムに共鳴するようになった。同誌昭和4年7月号に載った「藤森成吉氏へ」は“アナ・ボル論争”の口火を切ったものとして知られる。6年宮崎晃、星野準二らと従来のアナキズム運動批判の立場から農村青年社を設立したが、弾圧のため運動の第一線を離れて執筆活動に打ち込んだ。10年農村青年社事件で逮捕される。15年出所後、旧満州へ渡り満鉄に勤務。戦後引き揚げて母子寮寮母をする傍ら母子更生協会を設立した。51年から57年春まで都立板橋養育院で生活していた。「八木秋子著作集」(全3巻)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「八木秋子」の解説

八木秋子 やぎ-あきこ

1895-1983 昭和時代の社会運動家。
明治28年9月6日生まれ。「東京日日新聞」の記者をへて,「女人芸術」の編集従事。マルキシズム,のちアナーキズムの影響をうけ,女性解放の評論活動をおこなう。昭和6年農村青年社の創設に参加。戦後,母子更生協会を設立。昭和58年4月30日死去。87歳。長野県出身。松本女子職業学校卒。本名はあき。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「八木秋子」の解説

八木 秋子 (やぎ あきこ)

生年月日:1895年9月6日
昭和時代の社会運動家
1983年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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