八条原城跡(読み)はちじようばらじようあと

日本歴史地名大系 「八条原城跡」の解説

八条原城跡
はちじようばらじようあと

[現在地名]東広島市志和町志和西

安駄あんだ山東麓に広島藩が幕末に築いた城。慶応三年(一八六七)測量を開始し翌明治元年(一八六八)着工突貫工事の末、同三年春完成した。表向きは藩士子弟で組織する八旗隊の文武教育の場ということであったが、実際は平地にある広島城の防備上の弱点を考慮して築いた広島藩の隠し城であった。

「西志和村誌」所収絵図によれば、周囲を石垣で囲み四ヵ所の番所・見張台があって東南側に本門を設け、兵営舎・柔道場・剣道場・炊事場・風呂場などの練兵施設とその奥に約六〇の部屋をもつ本丸、長さ一八間の政事堂という建物があり、本丸の南には庭園を築いていた。北門からは谷川の水を入れて水車場に導き、そのすぐ東には米倉もあって長期の食糧自給も可能であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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