遠隔地からの通学や通勤の不便を解消するため,または特別の集団訓練や集団的資質の形成のために,学校,企業体,団体などが学生,生徒,工員,社員などに提供する共同宿舎。寄宿寮,寮などとも呼ぶ。
学校での寄宿舎の発足は,青年もしくは少年に一定期間もっぱら学習に従事させることと密接な関係をもっている。また,学校教育がごく一部の特権階級の子どもだけを対象とし,就学者数が少なく,学校の数とその配置が限定されていた状況に応ずるものであった。ヨーロッパの場合,古代・中世に聖職者養成のため設立された修道院学校が世俗の貴族やブルジョアジーの青少年たちを教育する学院や大学(コレージュ,ギムナジウム,パブリック・スクール,カレッジなど)に改編される際に,まず寄宿制学校(英語boarding school,ドイツ語Internat,フランス語pensionnat)の形態がとられた。それは,かつて青少年たちが成人たちと混在して生活していた共同体的社会の崩壊とともに,青少年期を成人期と分離し,成人とは異なった教育と学習とを集中して与えようとするものであった。青少年には,家庭や共同体での成人との混住状態から隔離された,彼らだけからなる集団生活が求められ,そこで特別な教育的配慮のもとに,学習,訓練,遊戯などが課せられることになったのである。イギリスのパブリック・スクール,ドイツのギムナジウムなどはその典型であった。
日本の場合,古代の大学寮における曹司,中世の大寺院に設けられた学林などは寄宿制をとっていた。近世後半から普及する藩校の多くは通学制であったが,規模の大きい藩校では年長の優秀者を〈寮〉に属させる場合があった。〈寮〉とは元来,役所を意味しており,藩にとって有為の人材と目された若者の寄宿し学習する場をさしていた。また,著名な学者の塾には,遠隔の地からもその学識を慕って学生が集まり起居をともにする場合があった。明治維新後,統一国家体制の形成とともに文化・教育の中央集中が著しく進行し,また上級学校への門戸が原則として身分・階級にかかわりなく広く開放されることになったから,遠隔地からの入学者を受け入れるための寄宿舎設備がとくに必要となった。明治初期に東京には文明開化の動向に沿って官立の高等専門教育機関や私立の洋学塾が相次いで開設され,新しい欧米風の学術を修めて立身出世を志向する青年を全国から集めた。また,各府県でも府県庁所在地に師範学校や中学校が設立され,近代的交通手段の未発達のためにこれらの学校でも寄宿舎が設備されなければならなかった。しかし,日本の場合は,明治維新後国力が貧弱のままに急速な近代化を進展させるため各種の学校が設置されたから,学校における寄宿舎の設備は必ずしも十分ではなく,旧藩主や県人会などが在京修学する出身学生のために設けた宿舎や,民間に下宿して通学するものが多く,西欧におけるような全寮制の寄宿学校は,軍学校,第一高等中学校に代表されるごく一部の官立校および独特の教育理念をかかげた私塾や私立学校を除いて,ほとんど存在していなかったといえる。
学校における寄宿舎には,社会から相対的に隔離された環境のなかでほぼ年齢の似通った青少年たちが集団生活するために,学校側からの管理・訓育の指導方針と,寄宿生間の年長-後進の指導・被指導関係や同じ生活経験の共有による共同体構成員意識の発生などにより,一つの独特な青少年文化が作り出された。イギリスのパブリック・スクールでは,貴族,ブルジョアの子弟に信仰,学習,スポーツを通じてジェントルマン(紳士)育成が図られ,ドイツのリーツH.Lietzらによる田園家塾Landerziehungsheimでは新教育理念にもとづく人間形成が目ざされた。
日本では,明治初期の寄宿舎は多くの場合学校の経営する〈安下宿〉風で,放恣な〈書生〉気質に支配されていたが,明治中期からは自由民権運動など反体制的思想の浸透を防ぐとともに,将来のエリート層に国家への忠誠心を形成する目的をもって,寄宿舎生活への管理が強化された。1886年以降高等師範学校,府県の尋常師範学校などに導入された軍隊的な寮生活管理はその典型ともいうべきもので,陸軍出身者を舎監に起用し,外出の制限,日常生活の規律化,夜間不時呼集などが実施された。しかし,その後形式的管理の強化が青少年の反発と志気(モラール)の低下に結果することへの危惧から,寄宿舎自治や教職員をも含めた共同生活方式の導入が考慮されるようになった。1890年第一高等中学校における〈籠城自治〉の承認に代表される旧制高等学校における寮自治制は,自治の容認により寮生たちに将来のエリートとしての自負と使命感を育成しようと配慮されたものであったし,明治後半に姫路師範学校で校長野口援太郎により採用された自治・共同の寄宿舎制は,師弟一体の共同生活による自律的で積極性ある教師の養成を図ったものである。この自治制下で,寮生活にうるおいをもたらす寮祭,運動会,ストームなど多様な行事が行われ,またその生活を謳歌する寮歌などが数多く生み出された。
大正期に入ると,新教育理念にもとづく寄宿舎自治制が師範学校,中学校をはじめ高等女学校にまでもかなり広く普及するようになった。他方,大正から昭和にかけて,〈同じカマの飯を食う〉共同生活により育成される集団帰属感を国家への帰依一体感に結びつけようとする塾風教育が農村青年への自力更生運動の一環として組織され,松下村塾(吉田松陰)に範を求めるこの塾風教育は,第2次大戦中のファシズムのもとで,パブリック・スクールや田園家塾に倣った寮自治制にとってかわる寄宿舎管理方式として強調されるに至った。
戦後の日本においては,高等学校の増設と交通手段の発達とによって中等学校の寄宿舎は急速に姿を消し,学校の寄宿舎は,学校統廃合による僻地中学校の一部を除いて,大学,短期大学などに限られることとなった。1960年代に入ってからの学生の間における個人主義志向の増大と学生運動対策としての寮施設管理の強化によって,学生寮は学生アパート化の傾向をみせている。他方,教員と学生・生徒との人間的接触の欠如や校内暴力事件の多発などの事情から,少数定員制で自然環境に恵まれた立地条件のもとに学習,労働,スポーツなどを重視した全員寄宿制学校への関心が高まりつつある。子どもたちの自律と自治とを軸に,教員を含めた解放的な集団生活のもとでの教育の価値が再評価されるに至っている。
執筆者:佐藤 秀夫
雇用主が雇用労働者を集団的に宿泊せしめるための施設であるが,普通はいわゆる女工のためのものを指す。以下,綿糸紡績業の場合を中心に説明する。日本の紡績業は1880年代の後半から対外競争力を持つようになったが,これに大いに寄与したのが寄宿舎制度であった。寄宿舎制度は,農村からの出稼ぎ女工を労働力として利用するために不可欠であった。これによって日本の紡績業は,当時農村に多量に存在していた過剰人口のはけ口として,若年の女子労働力をきわめて安価に利用できた。また,きわめて劣悪な労働条件のもとで,女工の逃亡を監視し,労働強化を行うために,重要な役割をはたした。特に昼夜二交替12時間労働制での操業を管理するためには,寄宿舎制度はたいへん好都合であった。このような制度は,当然さまざまな社会問題をひきおこした。まず第1に,女工の健康と生命を著しく傷つけた。特に,極度の疲労のもとでの雑居生活は,文字どおり結核の温床となった。第2に,精神衛生,風紀上も大きな問題であった。雇用主は意にそぐわない女工に対して,恥辱的な体罰を加えることをためらわなかった。女工たちはこうした状態に対して,逃亡で対抗した。厳重な監視網にもかかわらず行われた逃亡のため,過半数の女工の勤続年数が半年に満たなかった。このような状況に対応するため,1911年には工場法が制定されたが,肝心と目された深夜業の禁止には,紡績業者の強い反対で15年間の〈猶予期間〉がつけられ,実際に廃止されたのは,女工の権利意識も高まってきた29年になってからであった。そのほか製糸業(生糸)や織物業では,経営規模が小さいだけに,労働条件,居住設備はいっそう劣悪で,工場の屋根裏を改造したものなどが多かった。以上のような制度は,〈原生的労働関係〉とよばれる,資本主義発達の初期に特有のものとされているが,日本の場合は第2次大戦後でも,私生活への干渉や監視等,同様の性格の問題がみられる。なお戦後は,労働基準法およびそれに基づく事業付属寄宿舎規程,建設業付属寄宿舎規程が,寄宿舎生活の自治,秩序,設備と安全衛生について規定している。
執筆者:東条 由紀彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
一般に、学校が、遠隔地からの通学の便を図るため、あるいは教育的意図をもって設ける学生のための共同生活の施設。工場、商店、僧院、軍隊などの寄宿舎もある。古くは古代ギリシアのスパルタや中世の修道院が寄宿舎を設けていた。12、13世紀には、パリ、オックスフォード、ケンブリッジ大学にみられるように、学生が寮舎としてのカレッジで、研究や教育のため自治的、集団的生活をするようになった。15世紀ごろからは、イギリスで、ラグビー、イートン、ハローなど、ブルジョア階級の子弟の中等教育を施すパブリック・スクールが出現し、寄宿舎教育を行い、現在も受け継がれている。また、フランスのリセやドイツの田園家塾も代表的なものである。なお、旧ソ連では、1957年より生徒の全面的教育を目的として寄宿制の学校が創設され、中華人民共和国でも、1949年以降、大学は寄宿制をとっている。日本においては、奈良・平安時代の大学寮や氏族の貧しい子弟の学業補助を目的に設けられた大学別曹(べっそう)に、寄宿舎の起源を求めることができる。中世の寺院、近世の昌平坂(しょうへいざか)学問所、藩校、私塾にも寄宿舎が設けられた。また、地域の庶民の若者が共同で宿泊した若者宿、若衆宿、娘宿も寄宿舎の淵源(えんげん)にあげられる。明治以後は、旧制高等学校、師範学校、軍関係の学校が代表的で、生徒全員を寄宿舎に入れる全寮制をとった。
現在では、教育的意図から寄宿舎を設ける学校は少なくなり、一部の私立学校、盲・聾(ろう)・養護学校や、また、積雪などで通学困難な生徒のためにある期間だけ設けるという季節制の寄宿舎がある。専門学校や大学の寄宿舎は、下宿生活による経済的負担の軽減がおもな目的となりつつある。教育的意図から生徒全員を寄宿舎に収容する学校を、とくに寄宿学校boarding schoolと称する。これは、寄宿舎を人間形成の場と考え、教師の監督の下に24時間教育を行うものである。その教育効果は、集団生活を通して自主性、共同性などが養われることである。しかし、自己の時間が少なくなったり、個性が欠如したり、上級生から悪弊を被ることもある。
[藤原敬子・神山正弘]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…朝鮮から〈官斡旋〉の手段で朝鮮人を強制連行したのはこの一例といえる。また戦前は,土建業や炭鉱のいわゆる〈監獄部屋〉や〈たこ部屋〉,紡績業における〈寄宿舎〉などでは強制労働がかなり行われていた。一貫した強制労働政策の例としては,ナチス・ドイツやスターリン体制下の収容所が挙げられる。…
※「寄宿舎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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