八森村(読み)はちもりむら

日本歴史地名大系 「八森村」の解説

八森村
はちもりむら

[現在地名]八森町八森

山本郡の西北部の日本海沿岸に位置し、北に岩館いわだて村、東北に津軽領、東に粕毛かすげ(現藤里町)、南に目名潟めながた(現峰浜村)がある。日本海沿岸のわずかな平地に支郷各村が存在し、八森村はその総称であった。村の大部分は山地。村名は鉢森(秋田家文書)、八盛(郷中文書)とも記されるが、もとは村内に点在する大母爺おおもや森・小母爺こもや森・大糠おおぬか森・小糠こぬか森・相善そうぜん森・きつね森・わし森・がく森の八つの森に由来すると伝える。ただし菅江真澄の「おがらの滝」、富岳性円筆の「随処遺稿」に異説が載る。

中世には檜山(秋田)氏の支配下にあり、天正一〇年(一五八二)四月三日と思われる庄内の戦国大名大宝寺義氏の前田薩摩守宛書状(大宝寺文書)に「乍巷説申来候は、津軽の手前相募候而、檜山堺、号八森地被取之由候」とある。同一九年の出羽国秋田郡知行目録写(秋田家文書)には「千弐百四拾石五斗四升五合 八森村」とあり、文禄元年(一五九二)の秋田実季分限帳(秋田家文書)には二二七石余と鉄鉋衆三名、慶長六年(一六〇一)の秋田実季侍分限(秋田家文書)には二二四石余と鉄炮衆三名、鑓衆五名が記される。


八森村
はちもりむら

[現在地名]山形市八森・鳥居とりいおか

岩波いわなみ村の東、りゆう山北西麓の瀧山りゆうざん川上流沿岸の山間に立地。最上氏改易後は山形藩領、延享三年(一七四六)幕府領(「関根村御用留」鈴木文書)、寛政二年(一七九〇)常陸土浦藩領となる。寛永元年(一六二四)の定納之事(同文書)によれば高二二二石余、反別二六町二反余。同一六年の定納一紙(同文書)では高三一三石余、村内反別田四町一反余・畑六町余(うち屋敷六反余)、ほかに岩波平清水ひらしみず草矢倉くさやぐら小立おだち前田まえだ青田あおたの六ヵ村と山形城下八日ようか町・材木ざいもく町への出作地五町九反余がある。宝永七年(一七一〇)頃の村々大概帳(横山文書)では高三一七石余、本百姓数二一、名子・水呑百姓数六、人数一四三、馬七。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

グレーゾーン解消制度

個々の企業が新事業を始める場合に、なんらかの規制に該当するかどうかを事前に確認できる制度。2014年(平成26)施行の産業競争力強化法に基づき導入された。企業ごとに事業所管省庁へ申請し、関係省庁と調整...

グレーゾーン解消制度の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android