日本歴史地名大系 「八森村」の解説
八森村
はちもりむら
山本郡の西北部の日本海沿岸に位置し、北に
中世には檜山(秋田)氏の支配下にあり、天正一〇年(一五八二)四月三日と思われる庄内の戦国大名大宝寺義氏の前田薩摩守宛書状(大宝寺文書)に「乍巷説申来候は、津軽の手前相募候而、檜山堺、号八森地被取之由候」とある。同一九年の出羽国秋田郡知行目録写(秋田家文書)には「千弐百四拾石五斗四升五合 八森村」とあり、文禄元年(一五九二)の秋田実季分限帳(秋田家文書)には二二七石余と鉄鉋衆三名、慶長六年(一六〇一)の秋田実季侍分限(秋田家文書)には二二四石余と鉄炮衆三名、鑓衆五名が記される。
八森村
はちもりむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報