岩館村(読み)いわだてむら

日本歴史地名大系 「岩館村」の解説

岩館村
いわだてむら

[現在地名]平賀町岩館

ひら川中流右岸にあり、対岸は石川いしかわ(現弘前市)、北は大坊だいぼう村、南は小金崎こがねざき(現弘前市)、東は原田はらた村に接する。

建保七年(一二一九)四月二七日の北条義時下文(新渡戸文書)によれば、「平賀郡内岩楯村地頭代職事」が平広忠に与えられている。平広忠は曾我小次郎と推定されている。岩館は中世を通じて岩楯いわだてと記される。大鰐おおわに山地の河谷の水を集積した平川は宿川原しゆくかわら(現大鰐町)の峡谷を突破して津軽平野南部に大きな扇状地を形成する。中世末期の平賀地方は沖館おきだて高畑たかはたけ薬師堂やくしどう乳井にゆうい・石川(現弘前市)を結ぶ線より低い土地は低湿の氾濫原であった。このことは天正年間(一五七三―九二)の戦闘状況でもうかがわれる。岩楯村を中心とする平賀の地名が、鎌倉時代より文献に登場するのは、肥沃で高い生産力をもつこと、秋田や鹿角かづの(現秋田県鹿角郡・鹿角市)への道と平川の水運とを結ぶ要衝だからといえよう。平賀郡に勢力を張った曾我氏は、嫡流が大光寺だいこうじに、庶流が岩楯に分れたというが、嫡流の史料は残らず、庶流のみの史料が残る。承久四年(一二二二)三月一五日の北条義時下知状(斎藤文書)に「津軽平賀郡内平賀郷」とあり、平賀郷の初見である。翌貞応二年(一二二三)八月六日の北条義時下知状(斎藤・遠野南部文書)に「津軽平賀本郷内 曾我五郎次郎惟重知行分村々事」とあり、複数の村々の存在が確認され、記事の内容から鎌倉から派遣された武士と荘園の政所などとの争いがあり、執権北条義時の力により鎌倉武士の職権が安堵されていることがわかる。平賀本郷は岩楯が中心であることは、翌年九月二一日の曾我次郎惟重宛の北条泰時教書(同文書)に「岩楯村地頭職事」は北条義時の時の前例に任すとしたことでもわかる。嘉禎三年(一二三七)三月一三日泰時は沙弥西心(平広忠)未亡人に夫の遺領の「岩楯村地頭代職」を一期に限り継ぐ譲状を承認している(「北条泰時下文」新渡戸文書)。延応元年(一二三九)三月二八日の北条泰時下知状(斎藤・遠野南部文書)に、貞応二年の検注目録をひいて、岩楯村の年貢として定田九町九段六〇歩で布四九反二丈三尺三寸三分、紫四升九合六勺が課されており、のち新たに布二〇反一丈六尺六寸七分が加わり、約七〇反になった。


岩館村
いわだてむら

[現在地名]八森町字岩館

秋田藩の最北端、弘前藩との境にある。東と南は八森村に囲まれ、西は日本海。海岸沿いを大間越おおまごし街道が通り、海岸段丘上のわずかな平地に集落があり、村の大部分は山地。

正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に八森村の内岩館村とあり、享保一五年(一七三〇)の「六郡郡邑記」に家数五〇軒、支郷小入川こいりかわ村家数二〇軒とある。寛政六年(一七九四)の六郡惣高村附帳に当高五六石六斗七升三合とあり、すべてが蔵分である。文化七年(一八一〇)の南山本郡御高人馬家数書上帳(近藤家文書)によると、岩館村は当高六二石一斗七升六合、うち田高四八石一斗七升。家数一〇七軒、人数四一六人、馬八七匹。

藩境にあるため境目郷の役が拠人こにん制によって義務づけられていた。幕末の勤形覚書(菊池家文書)によれば、大間越街道の津軽境の守護は当村と八森村支郷茂浦もうら村の拠人にゆだねられ、両村には各一名の本役と見習の拠人がいた。拠人は森岳もりおか(現山本町)の役屋へ出頭して境目方から任命を受け、久保田くぼたへ出府して誓文をあげることになっていた。諸種の指示は森岳村の役屋から受けていたようであるが、文化五年の勤形覚書(菊池家文書)によれば春秋二回の藩境廻勤が定められ、問題があった時は久保田へ出府すること、久保田へ出府できない時は大館山役へ申し出て指図を受けることとされた。


岩館村
いわだてむら

[現在地名]一戸町岩館

馬淵まべち川東岸にあり、西は小鳥谷こずや村・西法寺さいほうじ村に対し、北は一戸村楢山ならやま村。慶長一三年(一六〇八)一〇月二四日の南部利直知行宛行状(岩舘系図)に「糠部郡一戸之内岩舘村八拾弐石弐斗は本知行 今度為加増同内水口沢四拾六石三斗三升六合」とあり、岩舘右京亮が知行地として認められ当地に居館したと伝える。山地尾根の末端を利用した岩館跡があり、一五〇メートルに一〇〇メートル前後の規模をもつ。同一五年九月二九日の南部利直知行宛行状(系胤譜考)でも同所の知行を岩舘右京が確認されている。正保国絵図では高三八石余。「雑書」承応三年(一六五四)一〇月九日条では岩館村は一九〇石余とあり、寒中の雉子の罠が許可されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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