日本歴史地名大系 「八沢村」の解説 八沢村やさわむら 宮城県:栗原郡築館町八沢村[現在地名]築館町 八沢岩(いわ)ノ沢(さわ)・同要害(ようがい)・同中谷地(なかやち)・同竹(たけ)ノ下前(したまえ)・同南沢(みなみざわ)・同大深沢(おおぶかさわ)・同北向前(きたむかいまえ)など太田(おおた)村の北西に位置し、東は内(うち)沼、北は照越(てるこし)村。正保郷帳に田三六貫一六五文・畑四貫二三八文とあり、水損・旱損と注され、ほかに新田二〇文。 八沢村はつさわむら 神奈川県:秦野市八沢村[現在地名]秦野市八沢足柄上(あしがらかみ)郡に属し、北は弥勒寺(みろくじ)村(現松田町)・柳川(やながわ)村、南は菖蒲(しようぶ)村、東は菖蒲村・柳川村、西は萱沼(かやぬま)村(現松田町)に接する。東がやや開けているが南北に長い村。天正一九年(一五九一)二月のものとされる柳川村検地帳写(秦野市史二)に「八沢分助右衛門」「八沢分幡摩」などとみえ、柳川村地内に八沢の地が入込んでいる。天正一八年小田原藩領、慶長一九年(一六一四)幕府直轄領、貞享三年(一六八六)小田原藩領、元禄一一年(一六九八)荻野山中藩領、宝永五年(一七〇八)幕府直轄領、天明三年(一七八三)小田原藩領。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by