六千石村
ろくせんごくむら
大間々扇状地の中央に位置し、北は本町村、西・南は大村(現新田町)、東は田村(現同上)。村央を銅山街道が南北に走る。寛文年間(一六六一―七三)の笠懸野開発により成立した新田村。寛文一一年の岡上開拓絵図(片山家蔵)には当村付近は「新田領新町十一町」とあり、四八万九千八〇〇坪。元禄一〇年(一六九七)の笠懸野新田絵図(同家蔵)に六千石新田とみえ、街道の両側に並ぶ家一八軒が描かれる。開発当初は幕府領。江戸後期の御改革組合村高帳では幕府領と旗本小笠原領の二給。家数は各一軒とある。開村時の入植者は五〇余軒であったが、天保一三年(一八四二)野火により全村焼失して無人家となり、無税地にした結果、弘化元年(一八四四)に家数三軒、人数五人(男三・女二)に増えたという(六千石村誌)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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