兵庫島村
ひようごしまむら
[現在地名]坂井町島
九頭竜川と兵庫川の堤防で囲まれた鬼辺(木部)輪中内にあり、周囲を清永村の田地に取囲まれる。「大乗院寺社雑事記」文明二年(一四七〇)七月一四日条に「河口庄郷々内村名」として兵庫郷の村名中に「兵庫嶋の村」とあり、奈良興福寺領河口庄内の一村であった。
「越前地理指南」の清永村の項には「溜池アリ五拾間ニ四拾間」とあり、当村の項には「深ケアリ幅拾五間ヨリ卅間迄、長四百間計」と記載され、付近に溜池や深田が多かった。辰八月の当村の九左衛門が役所に差出した由緒書上(岡崎家文書)に、
<資料は省略されています>
とあり、続いて松平忠直なども鷹狩に来たことが記されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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