兼城賢松(読み)カネシロ ケンショウ

20世紀日本人名事典 「兼城賢松」の解説

兼城 賢松
カネシロ ケンショウ

昭和期の教育



生年
明治37(1904)年4月23日

没年
昭和47(1972)年12月13日

出生地
沖縄県具志川市

学歴〔年〕
沖縄師範2部〔大正13年〕卒

経歴
大正13年沖縄の離島伊江島小学校教師、15年国頭・安江小学校首席訓導を経て、昭和3年屋我地小学校に転任したが、沖縄県教育労組運動にかかわり弾圧された。8年具志川小学校に移り終戦まで勤務。戦後は21年に前原初等学校長から大東支庁視学、23年北中城中等学校長、25年コザ中等学校長を経て、31年前原連合区教育長となり、焦土となった沖縄の再建に尽くした。45年退職後、中頭地区職員会が設立した教育研究室長として、沖縄県教師たちの尊敬を集めた。著書に「沖縄教師の祈りとどけ」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「兼城賢松」の解説

兼城賢松 かねしろ-けんしょう

1904-1972 昭和時代の教育者。
明治37年11月14日生まれ。沖縄各地の小学校で教壇にたち,昭和3年社会科学研究会に参加するが弾圧される。戦後は北中城(きたなかぐすく)中学校長などを歴任。また沖縄教職員会結成にかかわり,教育の再建につとめるとともに,本土復帰運動にも尽力した。昭和47年12月13日死去。68歳。沖縄県出身。沖縄師範卒。著作に「沖縄教師の祈りとどけ」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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