沖縄島
「海東諸国紀」の琉球国之図に「泳島」とある。慶長一六年(一六一一)の樺山久高他四名連署琉球納物目録(旧記雑録)に伊恵島とあり、正保国絵図にも伊恵島とみえる。「喜安日記」に「伊江按司」がみえ、「おもろさうし」には「いえ」「いゑ」とある。冊封使の記録では嘉靖一三年(一五三四)に来琉した陳侃の「使琉球録」に「移山」、康熙六〇年(一七二一)刊行の「中山伝信録」には「椅山」「椅世麻」と記される。移・椅はイの音で、世麻はシマの音。欧米人の記録では、一七九七年七月一二日に島の沖合を通過したプロビデンス号の艦長ブロートンが著した「北太平洋航海記」には、シュガー・ローフ(
現在島の北西部を米軍基地(敷地面積は島全体の三五パーセントに相当する八・〇二平方キロ)が占拠し、集落の大部分は島の東半分の南海岸側に分布している。人口は一九六〇年(昭和三五年)に七千四九二人、二〇〇〇年(平成一二年)の国勢調査では五千一一二人。就業者の約三五パーセントが農業に従事、高付加価値の先進的農業を営む島として知られている。主要農産物は葉タバコ、キク、肉用牛など。一時期盛んだった落花生は現在はほとんど栽培されていない。本部半島の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
沖縄県,沖縄島(本島)北部,本部(もとぶ)半島の北西10kmにある島。1島で国頭(くにがみ)郡伊江村をなす。人口4737(2010)。面積約23km2,東西8.4km,南北3kmの細長い島。琉球石灰岩で被覆される。島の主要部は高度50m以下の石灰岩台地で,南側に緩傾斜するため北側の海岸は断崖絶壁をなし,一大奇観を呈する。南側の海岸は砂丘も見られ,港湾の施設があって対岸の本島の本部町との間に定期のフェリー船が通じ,観光客が多い。島の最高点は中央部東寄りの標高172mの城(ぐすく)山で,基盤の古生層チャートからなる。周囲の平たんな台地に塔状に屹立(きつりつ)するため一段とめだち,〈伊江島タッチュー〉と呼ばれ,眺望がよく航海の目標となる。周辺はしだいに低くなって数段の海岸段丘が発達する。城山の南に東江上,西江上,東江前,西江前,川平の集落が集まっている。第2次世界大戦の激戦地でアメリカ軍報道記者アーニー・パイルの戦死地であり,石碑が残る。島の35%が米軍基地である。サトウキビ,花卉,タバコ,ラッカセイなどの農業のほか,肉用牛,乳用牛の畜産も盛んである。1977年海底送水管で本島の福地ダムから送水されるようになり水道施設は完備した。
執筆者:田里 友哲
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
沖縄県国頭(くにがみ)郡伊江村の島。沖縄本島、本部半島(もとぶはんとう)の北西9キロメートルに位置する。面積22.77平方キロメートル。最高点172メートルの城(ぐすく)山(立塔(たっちゅう))が古生層チャートからなる残丘のほかは、琉球(りゅうきゅう)石灰岩から構成される海岸段丘の地形が主体をなす。全体に低平な台地状の島である。人口4935(2009)。
[目崎茂和]
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