日本歴史地名大系 「内潟」の解説 内潟うちがた 鳥取県:境港市内潟弓浜半島の西岸、中海に面する地域および村々の総称。内(うち)浜ともよぶ。江戸時代前期までは北端の外江(とのえ)村と渡(わたり)村が中心的な存在であったが、元禄年間(一六八八―一七〇四)以降大崎(おおさき)村・葭津(よしづ)村(現米子市)および小篠津(こしのづ)村の枝村麦垣(むぎかき)・三軒屋(さんげんや)などの集落が成立した。さらにこれらの集落を結ぶ内浜境(うちはまさかい)往来も通じた。内潟の海岸線は江戸時代中期以降新田造成が盛んに行われ、地形が大きく変貌した。新田造成の方法には二つあった。一つは海岸沖に積石を重ねて囲い、その中に浅瀬の土砂を船で運んで埋立てる「揚げ新田」造りであった。もう一つは宝暦九年(一七五九)に弓浜半島を縦断して境水道まで通水した米(よね)川の水を利用して中海へ水を引き、広大な砂丘地帯の土砂を海岸へ流して埋立てる「流し新田」造りであった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by