内田ノ渡(読み)うちだのわたし

日本歴史地名大系 「内田ノ渡」の解説

内田ノ渡
うちだのわたし

[現在地名]犬山市犬山 橋畔

木曾川に隔てられた内田うちだ村と美濃鵜沼うぬま村を結ぶ。古来より尾張と美濃を連絡していた。「吾妻鏡」承久三年(一二二一)六月五日条に「鵜沼渡」として出てくる。文政一二年(一八二九)内田村庄屋と同村船人頭が連名で、船頭給に関する下知状など七通を、「古来より私共持来候得共、火盗用心等も悪敷有之候ニ付、御寺御宝蔵え御預ケ置度候」と瑞泉ずいせん寺へ願出ている(瑞泉寺文書)

天正一二年(一五八四)犬山城主加藤泰景によって、それ以前からの船頭八人の田・畑・屋敷が船頭給として認められた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つで,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) として四季の中央におかれた中気。元来,春分は太陰太陽暦の2月中 (2月後半) のことで,太陽の黄経が0°に達した日 (太陽暦の3月 2...

春分の用語解説を読む