デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「内藤忠太郎」の解説 内藤忠太郎 ないとう-ちゅうたろう 1844-1871 幕末の武士。天保(てんぽう)15年7月9日生まれ。長門(ながと)(山口県)清末藩の家老。文久3年海防陸軍総奉行となる。八月十八日の政変では京都から三条実美(さねとみ)らの七卿をまもって帰藩。第2次幕長戦争では石州口でたたかった。明治4年6月10日死去。28歳。名は純峯。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
367日誕生日大事典 「内藤忠太郎」の解説 内藤 忠太郎 (ないとう ちゅうたろう) 生年月日:1844年7月9日江戸時代;明治時代の清末藩大参事1871年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報