清末藩(読み)きよすえはん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「清末藩」の意味・わかりやすい解説

清末藩
きよすえはん

長門(ながと)国豊浦(とよら)郡清末村(山口県下関市)ほか13か村を領有した藩。長府(ちょうふ)藩の初代毛利秀元(ひでもと)の二男元知(もととも)を初代とし、1653年(承応2)に秀元の遺志により、1万石の分与を受けて立藩。長州藩からすれば又末家にあたるが、長府藩徳山藩とともに三末家を形成した。2代元平のとき、長府藩の家格断絶により元平が宗家を継ぎ清末藩は一時廃絶、やがて3代政苗(まさなり)のとき、1729年(享保14)に改めて藩を再興した。明治に至り、清末県を経て山口県編入

[吉本一雄]

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デジタル大辞泉プラス 「清末藩」の解説

清末藩

長門国、清末(現:山口県下関市)周辺を領有した小藩。長州藩の支藩である長府藩の祖・毛利秀元の死後遺言により次男元知(もととも)が1万石を分与され立藩。2代元平(匡広)が長府藩を継いだため、清末藩は一時断絶。3代政苗(まさなり)が再興した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「清末藩」の意味・わかりやすい解説

清末藩
きよすえはん

江戸時代長門国 (山口県) 豊浦郡一部を領有した小藩。享保 14 (1729) 年毛利政苗1万石に始り,廃藩置県にいたる。外様,江戸城柳間詰。

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世界大百科事典(旧版)内の清末藩の言及

【長門国】より

…毛利輝元は1600年に毛利秀元へ長門国豊浦郡で高3万6000余石を分知し,長府藩をたてさせた。53年(承応2)長府藩主綱元は秀元の子元知へ豊浦郡のうち14ヵ村,高1万石を与え,清末藩を興させた。長州藩は郷村支配の行政単位として宰判を設け,長門国では奥阿武,当島,浜崎,美祢,船木,吉田,前大津,先大津の8宰判を置いた。…

※「清末藩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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