内藤昌豊(読み)ないとう まさとよ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「内藤昌豊」の解説

内藤昌豊 ないとう-まさとよ

?-1575 戦国-織豊時代武将
甲斐(かい)(山梨県)の人。武田信玄につかえ,天文(てんぶん)15年50騎をかかえる侍大将となり内藤を名のった。のち上野(こうずけ)(群馬県)の箕輪(みのわ)城代,小荷駄(こにだ)奉行。天正(てんしょう)3年5月21日三河(愛知県)長篠(ながしの)の戦いで討ち死にした。本姓工藤通称は源左衛門。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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