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鳥居強右衛門 とりいすねえもん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

鳥居強右衛門
とりいすねえもん

[生]?
[没]天正3(1575).5.16. 長篠
戦国時代の武士。三河長篠城主奥平貞昌の家臣。名は一説に勝商。天正3 (1575) 年長篠城が武田勝頼に包囲された際,城を脱出し,徳川家康に救援を求め,帰途捕えられその場で磔殺されたが,城兵の士気を鼓舞した。

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デジタル大辞泉の解説

とりい‐すねえもん〔とりゐすねヱモン〕【鳥居強右衛門】

[?~1575]戦国時代の武士。三河の人。名は勝商(かつあき)。三河長篠城主奥平信昌の家臣。武田勝頼に囲まれた長篠城から脱出して徳川家康に援軍を頼み、使命を果たしたが、帰途捕らえられ、援軍の来ることを大声で城内に告げたため磔刑(たっけい)に処された。

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百科事典マイペディアの解説

鳥居強右衛門【とりいすねえもん】

戦国時代の武士。名は勝商(かつあき)とされる。三河長篠城主奥平信昌の臣。1575年武田勝頼の大軍に長篠城が包囲された際,夜に城を脱出して徳川家康に援軍を要請。帰途捕らえられたが,敵を欺いて援軍のくることを城中に告げ,敵軍に磔(はりつけ)にされた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

鳥居強右衛門 とりい-すねえもん

?-1575 戦国-織豊時代の武士。
三河(愛知県)長篠(ながしの)城主奥平信昌(のぶまさ)の家臣。長篠の戦いで武田勝頼(かつより)軍に城をかこまれた際,脱出し徳川家康に救援をもとめる。帰途武田軍につかまり,城内に降伏をすすめるよう強要されたが,援軍がくることを大声で知らせたため,天正(てんしょう)3年5月16日磔(はりつけ)にされた。名は勝商(かつあき)。
【格言など】わが君の命にかはる玉の緒をなにかいとひけん武士(もののふ)の道(辞世)

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朝日日本歴史人物事典の解説

鳥居強右衛門

没年:天正3.5.16(1575.6.24)
生年:生年不詳
戦国時代の武将。名を勝商とする史料もあるが確実とはいえない。三河の徳川家康方の部将奥平信昌の家臣で,信昌が長篠城(愛知県新城市・鳳来町)に入ったのに従い,天正3(1575)年2月,長篠城に入った。長篠城は同年5月1日から武田勝頼の大軍に囲まれ籠城することになったが,そのとき城中での軍評定で徳川家康のもとに援軍を要請する使者を送ることを提案し,自ら武田軍の包囲網を突破して家康のもとに赴くことになった。14日,強右衛門は長篠城を脱出することに成功し,岡崎城の家康に長篠城の窮状を訴え,それを聞いた家康は信長ともども出陣する決意を固めた。強右衛門は,その返事をすぐ城中の兵たちに伝えたいと長篠城に戻ろうとしたが,包囲の目をかいくぐって潜入することはむずかしく,結局,武田軍の兵に捕らえられた。このとき武田方では捕らえた鳥居強右衛門を城近くに連行し,「援軍はこない。降参した方がよい」といえば命を助けるという約束で強右衛門にその口上をいわせようとしたが,強右衛門は「援軍がすぐ到着する」と叫んだ。そのため強右衛門は篠場野において磔にかけられ殺されたが,結果的にはこの行為が長篠城籠城を継続させ,それが長篠設楽ケ原の織田・徳川連合軍大勝の大きな要因となったのである。<参考文献>丸山彭『鳥居強右衛門とその子孫』

(小和田哲男)

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デジタル大辞泉プラスの解説

鳥居強右衛門(すねえもん)

1942年公開の日本映画。監督:内田吐夢、原作:吉川英治、脚色:原健一郎、潤色:平田参作、平田参郎、撮影:伊佐山三郎。出演:小杉勇、水戸光子、志村喬、月形龍之介、東野英治郎ほか。

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世界大百科事典 第2版の解説

とりいすねえもん【鳥居強右衛門】

?‐1575(天正3)
戦国末期の武士。名は勝商(かつあき)(?)。三河国長篠城主奥平信昌の臣で,長篠の戦の際,長篠城が武田勝頼の大軍に包囲されると,救援依頼の使者となり脱出に成功したが,帰陣の寸前で捕らえられた。武田方は強右衛門に,織田信長の援軍はなく城を明け渡すことを城兵に告げれば助命するとした。強右衛門は偽ってこれを承諾し,近日援軍のあることを知らせたため磔刑(たつけい)にされた。【煎本 増夫】

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大辞林 第三版の解説

とりいすねえもん【鳥居強右衛門】

?~1575) 安土桃山時代の武士。本名、勝商かつあき。長篠城主奥平貞昌の臣。武田勝頼の長篠城包囲の際、徳川家康への救援の密使をつとめて成功したが捕らえられ、城兵に降伏を促すよう伝達を求められたが、かえって援軍の来ることを大声で叫び磔刑に処せられた。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

鳥居強右衛門
とりいすねえもん
(?―1575)

戦国時代の武士。三河長篠(ながしの)城主奥平信昌(おくだいらのぶまさ)の臣。1575年(天正3)5月、長篠城が武田勝頼(かつより)に包囲されたとき、使となって城を脱出、岡崎に赴き徳川家康、織田信長に救援を求め快諾を得たが、帰途、城外で武田側に捕らえられた。武田方は強右衛門を城近くに連行し、城中に向かって、援軍はこないから降参せよというよう命じた。強右衛門は偽ってこれに従い、大声で、近く援軍がくるからもうしばらく辛抱せよと呼ばわった。そのため激怒した武田方のために磔(はりつけ)にされた。[岡本良一]
『高柳光寿著『戦国戦記 長篠之戦』(1978・春秋社)』

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