円勝寺跡(読み)えんしようじあと

日本歴史地名大系 「円勝寺跡」の解説

円勝寺跡
えんしようじあと

岡崎円勝寺おかざきえんしようじ町・同成勝寺せいしようじ町東部地域にあった寺。ほぼ現在の京都市美術館の敷地にあたる。六勝りくしよう寺の一。跡地は大治三年(一一二八)三月の供養呪願文(本朝続文粋)に「檀那仙院、尭衢之側、周洛之東、栄光浮河、休気聳漢、法勝最勝、蓮宮卜隣、三層五層、華塔接砌、就斯吉土、建以伽藍」とみえ、法勝ほつしよう寺・最勝さいしよう寺に隣する地にあったことが知れる。旧字円照地えんしようじ道照寺どうしようじにまたがると伝え(坊目誌)東境広道ひろみち(現岡崎通)、南境はおし小路末、北境は二条大路末、西境は広道より西一町と推定され、方一町の寺域を有した。昭和四五年(一九七〇)発掘調査が行われ、東塔と思われる建物一棟、寺の東境を示す溝などが検出された。また縦一五メートル、横一〇メートルの大きさの瓦溜が発見され、三〇〇余種の軒瓦を含む大量の瓦を採集。これらは下級貴族・受領たちが各地方から搬入寄進したものである。なおこの円勝寺跡の下層からは弥生時代末から古墳時代初頭にかけての東海・近江地方と系譜的につながる土器が多数発見されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報