冠弥右衛門(読み)かんむり・やえもん

朝日日本歴史人物事典 「冠弥右衛門」の解説

冠弥右衛門

没年:明治21.12.15(1888)
生年弘化2(1845)
明治時代の真土事件(真土騒動)の指導者。真土村(平塚市)戸長の松木長右衛門は地租改正に際し質置主の印鑑を預かると,質地の地券名義を勝手に自分の名義に変更してしまった。土地を略奪された思いの村民65名は,弥右衛門を代表に翌年裁判所に訴えたが,敗訴。加えて松木に裁判費用と3年間の小作料滞納分をきびしく取り立てられ,進退窮まり打ちこわしという実力行使に出た。明治11(1878)年10月26日,秋雨の降りしきる夜,手製の大砲轟音合図に29名の農民が松木宅を襲い,松木とその家族を殺害するなどし,家屋に火を放った。事件後,弥右衛門ら56名の村民が逮捕されたが,義挙を知った人々から助命嘆願運動が起こり,死罪を減ぜられて終身懲役となった。嘆願運動は地元の国会開設運動へと受け継がれ,のちの自由民権運動へと結実していくことになる。明治17年釈放された弥右衛門は,出家して余生をおくった。

(下重清)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「冠弥右衛門」の解説

冠弥右衛門 かんむり-やえもん

1845-1888 明治時代の真土(しんど)村騒動の指導者。
弘化(こうか)2年生まれ。生地相模(さがみ)(神奈川県)真土村でおきた質地受け戻し紛争で,質置主代表として質取主の松木長右衛門を相手どり訴訟をおこしたが,敗訴。訴訟費用と小作料滞納分の納入にこまり,明治11年松木方をおそい,長右衛門らを殺傷した。事件後,死罪から終身刑となり,のち釈放された。明治21年12月15日死去。44歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

黄砂

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android