朝日日本歴史人物事典 「冠弥右衛門」の解説
冠弥右衛門
生年:弘化2(1845)
明治時代の真土事件(真土騒動)の指導者。真土村(平塚市)戸長の松木長右衛門は地租改正に際し質置主の印鑑を預かると,質地の地券名義を勝手に自分の名義に変更してしまった。土地を略奪された思いの村民65名は,弥右衛門を代表に翌年裁判所に訴えたが,敗訴。加えて松木に裁判費用と3年間の小作料滞納分をきびしく取り立てられ,進退窮まり打ちこわしという実力行使に出た。明治11(1878)年10月26日,秋雨の降りしきる夜,手製の大砲の轟音を合図に29名の農民が松木宅を襲い,松木とその家族を殺害するなどし,家屋に火を放った。事件後,弥右衛門ら56名の村民が逮捕されたが,義挙を知った人々から助命嘆願運動が起こり,死罪を減ぜられて終身懲役となった。嘆願運動は地元の国会開設運動へと受け継がれ,のちの自由民権運動へと結実していくことになる。明治17年釈放された弥右衛門は,出家して余生をおくった。
(下重清)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報