日本歴史地名大系 「真土村」の解説 真土村まつちむら 愛媛県:東宇和郡宇和町真土村[現在地名]宇和町田苗真土(たなえまつち)宇和川が東多田(ひがしただ)村の谷間から平地部に開けてくる地域の村。東は加茂(かも)村、西は田苗村に接する。宇和島藩領。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の宇和郡の項に「真土村 村之中ニて山なし、川有」と記される。太閤検地の石高は五〇〇石六斗五升、耕地面積の比率は田八五パーセント、畑一五パーセント、水田が卓越している。寛文検地の石高は約一・五倍に増え、田七五パーセント、畑二五パーセントの比率に変わる。 真土村まつちむら 青森県:中津軽郡岩木町真土村[現在地名]岩木町真土東は近名(ちかな)村、北は二本木(にほんぎ)村、西は竜ノ口(たつのくち)村に接し、南は岩木川を挟んで悪戸(あくど)村(現弘前市)に相対する。寛永一七年(一六四〇)の津軽百助宛の津軽信義黒印知行宛行状(国立史料館蔵)に「一真土村之内」とあり、村内に津軽百助の知行地があった。正保二年(一六四五)の津軽知行高之帳に鼻和(はなわ)郡の新田として村名がみえ、村高は二九三・九四石である。 真土村まつちむら 和歌山県:橋本市真土村[現在地名]橋本市隅田(すだ)町真土葛城(和泉)山脈南麓の丘陵地にあり、東西に通る大和街道沿いに人家がある。真土峠を越えて東は大和国畠田(はたけだ)村(現奈良県五條市)、西は垂井(たるい)村。中世は隅田庄に属した。慶長検地高目録では村高一七九石余、小物成三斗九合。上組に属し、慶安四年(一六五一)の上組在々田畠小物成改帳控(土屋家文書)では家数二七(本役八など)、人数一〇四、牛七、馬四、小物成は茶七斤。極楽寺(浄土真宗本願寺派)は本尊阿弥陀如来で、平安時代後期の十一面観音がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by