冨吉栄二(読み)トミヨシ エイジ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「冨吉栄二」の解説

冨吉 栄二
トミヨシ エイジ


肩書
衆院議員(社会党)

生年月日
明治32年7月6日

出生地
鹿児島県姶良郡清水村(現・国分市)

学歴
研数学館高等科〔大正9年〕卒

経歴
学校教員となり、25歳の時、小作農仲間に推され鹿児島県議に当選。大正13年日本農民和合姶良郡連合会を組織、14年日農鹿児島県連と改称主事から会長となった。昭和11年鹿児島県から全国農民組合に推され衆院議員に当選、12年社会大衆党から再選した。戦後社会党に属し、中央執行委員。21年衆院議員に当選、計6期務め、22年片山哲内閣の逓信大臣。29年北海道視察の帰途、9月26日の洞爺丸事故遭難死した。

没年月日
昭和29年9月26日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「冨吉栄二」の解説

冨吉 栄二
トミヨシ エイジ

大正・昭和期の政治家 衆院議員(社会党)。



生年
明治32(1899)年7月6日

没年
昭和29(1954)年9月26日

出生地
鹿児島県姶良郡清水村(現・国分市)

学歴〔年〕
研数学館高等科〔大正9年〕卒

経歴
学校教員となり、25歳の時、小作農仲間に推され鹿児島県議に当選。大正13年日本農民和合姶良郡連合会を組織、14年日農鹿児島県連と改称、主事から会長となった。昭和11年鹿児島県から全国農民組合に推され衆院議員に当選、12年社会大衆党から再選した。戦後社会党に属し、中央執行委員。21年衆院議員に当選、計6期務め、22年片山哲内閣の逓信大臣。29年北海道視察の帰途、9月26日の洞爺丸事故で遭難死した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「冨吉栄二」の解説

冨吉栄二 とみよし-えいじ

1899-1954 大正-昭和時代農民運動家,政治家。
明治32年7月6日生まれ。郷里鹿児島県の精華学校教員をへて大正13年農民運動にはいり,県下の農民運動を指導。昭和11年から衆議院議員に2回当選(社会大衆党)。戦後は社会党に属し,21年から衆議院議員を4期つとめ,23年芦田内閣の逓信相。昭和29年9月26日青函連絡船洞爺丸事件で死去。55歳。研数学館卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「冨吉栄二」の解説

冨吉 栄二 (とみよし えいじ)

生年月日:1899年7月6日
大正時代;昭和時代の農民運動家;政治家。衆議院議員
1954年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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