日本歴史地名大系 「出垣内村」の解説 出垣内村でがいとむら 京都府:綴喜郡田辺町出垣内村[現在地名]田辺町大字三山木(みやまき)東は山本(やまもと)村、南は江津(えつつ)村と接する。遠藤(えんどう)川が江津村境を東流して木津(きづ)川に注ぎ、村内を南北に奈良街道(歌姫越)が通る。北から南に二又(ふたまた)・山崎(やまさき)・出垣内の三区に分れる。元禄一三年(一七〇〇)山城国郷帳に高木(たかぎ)村の枝郷として「出垣内村」が記され、石高は四六九・二〇九石、享保一四年(一七二九)の山城国高八郡村名帳には高木村の総石高一千三七三石余のうちに合算され、うち出垣内村分は禁裏御料一〇五石余、旗本浅井主水知行二四七石余の計三五二石余であった。 出垣内村でがいとむら 奈良県:橿原市鴨公・香久山地区出垣内村[現在地名]橿原市出垣内町膳夫(かしわで)村の北方、西北に流れる米(よね)川の右岸にある。永正一二年(一五一五)の膳夫庄差図(談山神社蔵)に「出垣内里」と記す。近世の初めは膳夫村の内。元禄郷帳・天保郷帳ともに「膳夫村之枝郷」と注記する。「寛文朱印留」にはみえないので、寛文四年(一六六四)から元禄年間(一六八八―一七〇四)に膳夫村から隣村の出合(であい)村とともに分村したものであろう。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報