江津(読み)ゴウツ

デジタル大辞泉 「江津」の意味・読み・例文・類語

ごうつ〔ガウつ〕【江津】

島根県中部の市。日本海に面し、江川ごうがわ河口港として発達した。製紙工場がある。石見いわみ陶器・石州瓦せきしゅうがわら産地。人口2.6万(2010)。

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精選版 日本国語大辞典 「江津」の意味・読み・例文・類語

ごうつガウつ【江津】

  1. 島根県中部、日本海に面する江川河口の市。山陰道の宿駅、江川舟運の河港として発達。石見赤瓦を主とする窯業が盛ん。山陰本線三江線分岐点有福温泉がある。昭和二九年(一九五四)市制。

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日本歴史地名大系 「江津」の解説

江津
ごうつ

江川河口部の左岸で、現江津市江津町・嘉久志かくし町を中心とする地域。江川水運の終点で、山陰沿岸の水運の寄航地でもあった。中世における江川は一般的な物資の流通路であるにとどまらず、鉄や銅などの鉱石やその製品の搬出路として機能した。永和二年(一三七六)閏七月二九日の角井駿河次郎宛の細川頼之奉書(閥閲録)に「石州於江津戦功之由」とある。同日付で同文の管領奉書は益田兼見宛にも発給されている(同書)。この戦闘の詳細は不明だが、角井氏は周布氏の庶子で、益田氏や周布氏などの幕府方が江津へ出陣して戦ったのであるから、江津でこれを迎え撃った南朝方は江津を含む都野つの郷を所領とした都野氏あるいは福屋氏であったと推定される。この推定の当否とは別に、永和二年の江津の戦闘が重要なのは、これをもって石見国内の南北朝の動乱が終息したことである。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「江津」の意味・わかりやすい解説

江津(市)
ごうつ

島根県中北部、日本海に面する江の川(ごうのかわ)(江川(ごうがわ))河口の工業都市。1954年(昭和29)江津、都野津(つのづ)の2町、川波(かわなみ)、二宮(にのみや)、跡市(あといち)、浅利(あさり)、松川、川平(かわひら)、江東の7村が合併して市制施行。2004年(平成16)邑智(おおち)郡桜江町(さくらえちょう)を編入。海岸は江の川の沖積地を中心に広い砂丘を形成。内陸部には石見(いわみ)高原が広がる。JRの山陰本線および国道9号、261号の分岐点となっており、国道9号に並行して山陰自動車道が通じる。江津駅を起点とするJR三江(さんこう)線が通じていたが、2018年に廃線となった。古来、日本海と江の川の結節点で、江川舟運の下り船の鉄、木材、薪炭、コウゾ、上り船の米、塩、海産物などの集散地となり、河岸には廻船(かいせん)問屋、倉庫が立ち並び繁栄した。昭和初年、鉄道の開通後、江川舟運は衰退し駅前に新市街が成立した。都野津地区は石見瓦(いわみがわら)の産地。1942年(昭和17)以降、砂丘地に製糸、パルプ、化学などの工場が進出し工業都市への基盤ができた。松川町に江津工業団地が造成されている。旧桜江町域は古代の桜井郷、中世の桜井荘(しょう)の地で、室町時代には江川舟運を利用した対朝鮮貿易の要津(ようしん)として川湊桜井津(さくらいのつ)の繁栄をみた。チャ、タバコ、ゴボウシイタケ栽培が盛ん。江の川支流の八戸(やと)川には多目的の八戸ダムがあり、近くに国指定名勝千丈渓(せんじょうけい)がある。甘南備寺(かんなみじ)の黄櫨匂威大鎧残闕(はじにおいおどしおおよろいざんけつ)は国指定重要文化財である。市西部の「山陰の伊香保」と称される有福(ありふく)温泉には原爆被爆者療養研究所があった(2013年閉所)。桜江町地区の大元神楽(おおもとかぐら)は国の重要無形民俗文化財。面積268.24平方キロメートル、人口2万2958(2020)。

[石橋忠男]

『『江津市の地誌』(1971・報光社)』『『江津市誌』3冊(1982・江津市)』



江津
こうしん / チヤンチン

中国、重慶(じゅうけい)市南西部に位置する同市の市轄区。揚子江(ようすこう)南岸に位置する。人口149万5300(2015)。漢代は江州、西魏(せいぎ)の時代には江陽と称したが、隋(ずい)代に揚子江の津(渡船場)という意味から江津となった。今日も重慶、瀘州(ろしゅう)などへの水運の要地であり、また、区内を成渝(せいゆ)線(成都(せいと)―重慶)、川黔(せんけん)線(重慶―貴陽(きよう))が通じる。周辺地域では、米をはじめとする農産物のほか、チョマ、柑橘(かんきつ)類が産出され、麻布、樟脳(しょうのう)などの特産品もある。四面山、中山古鎮などの名勝・旧跡がある。

[小野菊雄・編集部 2017年6月20日]

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改訂新版 世界大百科事典 「江津」の意味・わかりやすい解説

江津[市] (ごうつ)

島根県中部の市。2004年10月旧江津市が桜江(さくらえ)町を編入して成立した。人口2万5697(2010)。

江津市北西部の旧市。日本海に注ぐ江の川河口にある。1954年江津,都野津の2町と川波など7村が合体,市制。人口2万5773(2000)。中心の江津は日本海海運の港町,江の川流域の物資の集散地として発達してきたが,山陰本線の開通(1920)により港町としての機能が衰え,とくに三江線の開通(1930)後,町の中心は河口港周辺から新開地である駅前へと移った。大正末期,近傍の養蚕地帯を背景とし江の川の豊かな水資源を利用して,海岸の砂丘地に片倉製糸の工場が立地し,昭和に入ってからはレーヨン,パルプなどの工業が興った。海岸部の第三紀層,洪積層の供給する良質の陶土を使って,18世紀半ばから始まった石見粗陶器や石州瓦などの伝統産業も盛んである。水田に乏しく,第2次大戦までは桑畑が多かったが,戦後はブドウを中心とする果樹栽培や養豚に農業の比重が移っている。市の南西端に有福(ありふく)温泉がある。
執筆者:

江津市南東部の旧町。旧邑智郡所属。人口3604(2000)。江の川下流域の山村で,北は江津市に接する。江の川に八戸(やと)川が合流する地点の段丘上にある川戸が中心集落で,古くから江の川水運の河港,対岸の谷住郷に渡る渡船場集落として発展した。米作,タバコ,茶の栽培が盛んで,特産にシイタケ,ゴボウ,ナガイモがある。水害常襲地域であるが,近年堤防構築など水害対策が行われ,1957年には八戸ダム,73年に新八戸ダムが完成した。千丈渓(名),観音滝などの景勝や真言宗の名刹(めいさつ)甘南備(かんなび)寺がある。JR三江線,国道261号線が通じる。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「江津」の意味・わかりやすい解説

江津[市]【ごうつ】

島根県中部,日本海に面する市。1954年市制。山陰本線開通まで市街地は江の川(ごうのがわ)の河口左岸にあり,港町として江の川流域の物資を集散した。江の川の水資源と河口付近の広大な砂丘地を利用しパルプ,セメントなどの工業が発達,近年は電気機械などの企業誘致も進む。古くからの石見(いわみ)焼(石州瓦,石見陶器)も特産。ブドウ,モモ栽培,養豚も行う。三江線が分岐する。有福(ありふく)温泉がある。2004年10月邑智郡桜江町を編入。268.24km2。2万5697人(2010)。

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普及版 字通 「江津」の読み・字形・画数・意味

【江津】こうしん

渡し場。

字通「江」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の江津の言及

【江の川】より

…その後,流路を西方へ反転させ,中国山地の隆起に抗して江の川関門と呼ばれる深い峡谷をうがち,典型的な先行性流路を形成する。島根県に入ると邑智町粕淵(かすぶち)まで大迂回した後,南西へ,さらに北西へと流れ江津市で日本海に注ぐ。水源の阿佐山と河口の江津市との直線距離は30kmにすぎないが,本流の長さはその6倍以上の194kmもある。…

※「江津」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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