出水村
でみずむら
[現在地名]和歌山市出水
名草郡に属し、雑賀川(和歌川)上流の大門川と出水川に囲まれ、太田の北東にある。「続風土記」は「古、此辺老人島永沼郷なといひし村地なりし」と記すが、永仁三年(一二九五)の諸郷奉分田所当注文写(国立史料館蔵)に、日前宮領新永沼郷がみえ、年月不詳の古代畠田分帳(「日前・国懸神宮本紀大略」所収)には永沼郷の名がみえる。また正平一七年(一三六二)一〇月一〇日の紀親文畠地宛行状案(「続風土記」所収日前宮文書)は、一町一八〇歩の畠地の在所を「新永沼郷今号老人島」と記している。
出水村
いずみむら
[現在地名]城南町出水
舞ノ原台地の東端部にあり、すぐ東方の緑川左岸流域に狭小な平野が開ける。南は上益城郡府領村(現甲佐町)、北は築地村、西は宮地村と接する。字山ノ上で縄文後・晩期の御領式土器や古墳時代の一部住居跡などが発見されている。また吉野山古墳群の一部である西窪・出水屋敷の両横穴古墳群は破壊が著しい。
出水村
いずみむら
[現在地名]社町出水佐保
加古川左岸の平野部に位置し、東は松尾村。木下家定宛の文禄四年(一五九五)八月一七日の豊臣秀吉知行方目録(木下家文書)に「いつミ村」は四六二石余とある。慶長国絵図に「泉村」とみえる。正保郷帳では幕府領、田方四七二石余・畠方四二石余。元禄郷帳では出水村と記され、高五〇四石余。旧高旧領取調帳では陸奥棚倉藩領五〇九石余・除地九升余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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