日本歴史地名大系 「利屋村」の解説 利屋村とぎやむら 愛知県:知多郡南知多町利屋村[現在地名]南知多町内海(うつみ)内海川の東岸、東端(ひがしばた)村と名切(なきり)村の間に位置し、東部は小高い丘で民家は山陰にある。「寛文覚書」によれば、概高二二三石余、田地七町五反余、畑地一一町余、戸数三九、人口二四一。将軍上洛・朝鮮使節通行の時人馬を出すとある。「徇行記」によれば「小百姓ハカリニテ貧村ナリ」で、農業を主とし、東端・西端(にしばた)両村の越高七三石余は良田で、質流れになったものである。畑は瘠地に甘藷を作って名古屋に売り、山から薪・松葉を伐出し東端・西端や常滑(とこなめ)(現常滑市)へ出す。 利屋村とぎやむら 富山県:東礪波郡井波町利屋村[現在地名]井波町利屋安室(あじつ)村の北西、専勝寺(せんしようじ)村・戸保家(とぼけ)村の西に位置。村名は刀の研師が居住したからと伝える(元禄一四年「村名由来書」川合家文書)。元和五年(一六一九)の家高新帳に「ときや」とみえ、役家数四、戸出又右衛門組に属する。正保郷帳では高二九石余、田方一町八反余・畑方一反、新田高六八石余、田方四町四反余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by