朝日日本歴史人物事典 「前田利保」の解説
前田利保
生年:寛政12.2.28(1800.3.23)
江戸時代の富山藩主で本草学者。幼名銹之助,啓之助。号は万香亭など。8代藩主利謙の次男,母は美須。義兄利幹の養嗣子。天保6(1835)年富山10万石10代目を継ぐ。国用不足を憂え国産奨励を志し,産物方を興し陶器業,高級織物,製糸業を奨励,御手船を作り年貢米,国産を大坂に廻送した。赭鞭会を開き品物を論評し,富山売薬振興のため自ら本草学を学び,侍医を領内に遣わし珍草奇草を集め,薬草園を作り『本草通串』『本草通串証図』を著した。この作業の中から画家木村立岳らが育ち売薬版画がおきる。秀れた一業を興す中に各種人材の養成されることを知っていた。<著作>『本草通串』『本草通串証図』<参考文献>前田則邦『前田氏家乗』
(高瀬保)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報