加治木館跡(読み)かじきやかたあと

日本歴史地名大系 「加治木館跡」の解説

加治木館跡
かじきやかたあと

[現在地名]加治木町仮屋町 於里

東に日木山ひきやま川、西に網掛あみかけ川が流れる標高一〇メートルを最高地点とする平地に築かれた近世の館。うち城・加治木島津家屋形ともいう。慶長一二年(一六〇七)島津義弘が築き、帖佐ちようさ(現姶良町)から加治木に移った(「島津氏正統系図」など)義弘は帖佐平松ひらまつ(現姶良町)より山城の加治木城へ移ろうとして四八人の家臣を先発させたが、同城は長らく空城であったことと町割を考慮し、黄(江夏)友賢に命じて館を建て、その南側に役所や家臣の屋敷を配置した(「柁城名勝志」加治木郷土資料)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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