朝日日本歴史人物事典 「加藤俊子」の解説
加藤俊子
生年:天保9.12.1(1839.1.15)
明治期の教育者。女子独立学校校長。越後国(新潟県)生まれ。13歳で同国板屋沢村の大庄屋加藤雄次郎と結婚。3男1女をもうけたが,31歳で夫と死別。明治14(1881)年,末子弘吉を病気治療のために宣教医T.A.パームの病院に入院させたことがきっかけでキリスト教に接触した。同17年R.H.デヴィスより受洗。長男勝弥の上京に伴って出京し,K.M.ヤングマンの女子伝道学校に学ぶ。同22年女子独立学校を開校し,校長に就任。中流階層以下の女性に,働きながら一身の経済的,人格的自立を図れる教育を行った。<参考文献>『女子学院の歴史』,本井康博『回想の加藤勝弥―クリスチャン民権家の肖像』
(篠崎恭久)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報