日本大百科全書(ニッポニカ) 「加藤宇万伎」の意味・わかりやすい解説
加藤宇万伎
かとううまき
(1721―1777)
江戸中期の歌人、国学者。美樹(うまき)とも書く。通称大助。号は静舎(しずや)。江戸の人。河津祐之の養子となって美濃大垣(みのおおがき)新田藩戸田淡路守(あわじのかみ)氏房に仕え、のち致仕して、幕府大番(おおばん)の与力(よりき)となり、3年ごとに大坂城や二条城に勤番した。25歳のとき賀茂真淵(かもまぶち)に入門して和歌と国学を学び、加藤千蔭(ちかげ)、村田春海(はるみ)、楫取魚彦(かとりなひこ)とともに県門(けんもん)四天王と称せられたが、「もののふの草むすかばね年ふりて秋風寒しきちかうの原」の歌のように、用語や句調は万葉風ながらも、美意識は優雅で真淵とは異なる歌を詠んだ。上方(かみがた)勤番中に上田秋成(あきなり)の師となり、秋成に学問上の大きな影響を与えた。家集を『しづ屋のうた集』といい、研究書に『雨夜物語だみ言葉』『土佐日記解(かい)』がある。
[上野 理]