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楫取魚彦 かとり なひこ

美術人名辞典の解説

楫取魚彦

江戸後期の画家・国学者歌人下総生。姓は伊能、名は景良、号に青藍・茅生庵、通称を茂右衛門。江戸に出て国学を賀茂真淵、画は建部凌岱に学び、古文・和歌・画を能くした。『古言梯』『万葉集千歌』等の著がある。天明2年(1782)歿、60才。

楫取魚彦

江戸中期の国学者・画家。下総生。姓は伊能、名は景良、通称は茂右衛門、号に青藍・茅生庵。賀茂真淵の高弟。画は建部凌岱に学び、特に鯉の画をと得意とし、また俳画も能くした。天明2年(1782)歿、60才。

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百科事典マイペディアの解説

楫取魚彦【かとりなひこ】

江戸中期の歌人,国学者。本姓伊能。通称茂左衛門。下総(しもうさ)国香取郡佐原の人。江戸に出て賀茂真淵の門下に入る。万葉調を尊び,古語を研究。絵画,俳諧(はいかい)にも長じる。
→関連項目歳時記

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

楫取魚彦 かとり-なひこ

1723-1782 江戸時代中期の国学者,歌人。
享保(きょうほう)8年3月2日生まれ。はじめ俳諧(はいかい)をたしなみ,建部綾足(たけべ-あやたり)に画をまなんだ。のち賀茂真淵(かもの-まぶち)に入門。県門四天王のひとりにかぞえられる。万葉調の歌にひいでた。天明2年3月23日死去。60歳。下総(しもうさ)香取郡(千葉県)出身。本姓は伊能。名は別に景豊,景良。通称は茂左衛門。号は青藍(せいらん),茅生庵(ちぶあん)。著作に「古言梯(こげんてい)」,編著に「続冠辞考」。

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朝日日本歴史人物事典の解説

楫取魚彦

没年:天明2.3.23(1782.5.5)
生年:享保8.3.2(1723.4.6)
江戸中期の国学者。本姓伊能。名景良。通称茂左衛門。俳号青藍。楫取魚彦と改姓改名。下総香取郡佐原村(千葉県佐原市)に生まれる。父伊能景栄,母すめ。父を継いで名主となったが,寛保2(1742)年に召し上げられる。青年時は建部綾足の影響もあって俳諧に親しむ。宝暦9(1759)年に賀茂真淵に入門してからは国学の比重が増し,明和2(1765)年には真淵の県居近くに茅生庵を構えた。国学書として高い価値を有する『古言梯』の完成が魚彦に江戸移住を決意させたとみられる。以後は万葉調の和歌ともども真淵学の忠実な継承者として門弟指導に当たったが,江戸派の加藤千蔭,村田春海の華やかさにはおよばず,篤学をもって本領とした。鯉の絵に巧みであった。他に『続冠辞考』など。家集『楫取魚彦家集』<参考文献>木村捨三「楫取魚彦」(『木村仙秀集』7巻),林義雄・柴田一生「楫取魚彦年譜稿」(『専修国文』43号)

(久保田啓一)

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世界大百科事典 第2版の解説

かとりなひこ【楫取魚彦】

1723‐82(享保8‐天明2)
江戸中期の歌人,国学者。本姓は伊能だが,生地(下総国香取郡佐原)にちなんで楫取を名のった。名は景良。通称茂左衛門。別号青藍など。30代に賀茂真淵に入門,真淵を継いで万葉調の歌を得意とした。家集に《楫取魚彦家集》(清水浜臣編)がある。古語古句を自在に駆使した長歌や催馬楽調などをはじめ独特の歌風に特色があるが,古語研究に興味と才能を示し,《古言梯》《続冠辞考》《冠辞懸緒》等を著している。絵にもすぐれ,梅と鯉を得意とした。

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大辞林 第三版の解説

かとりなひこ【楫取魚彦】

1723~1782) 江戸中期の国学者・歌人。本姓、伊能。名は景豊かげとよ。号、青藍。下総の人。賀茂真淵に師事。古語研究に努める一方、建部綾足に学んで画もよくした。著「古言梯こげんてい」「楫取魚彦家集」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

楫取魚彦
かとりなひこ

[生]享保8(1723).3.2. 下総,香取
[没]天明2(1782).3.23. 江戸
江戸時代中期の国学者,歌人,文人画家。本姓は伊能,通称は茂左衛門。号は魚彦,青藍,茅生庵 (ちぶあん) など。賀茂真淵に師事,古学を修め,万葉風の和歌を詠む。同門の建部凌岱 (たけべりょうたい) について画事を習う。絵は写生的な梅,鯉魚を好んで描く。明和2 (1765) 年家督を息子に譲り,江戸へ出て茅生庵を構える。真淵没後,彼に古学,和歌を学ぶもの 3000人に及ぶ。著書は,歴史的かなづかいを研究した『古言梯 (こげんてい) 』 (65) のほか,『万葉千歌』『筆のさきごと』など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

楫取魚彦
かとりなひこ
(1723―1783)

江戸中期の国学者、歌人。「~なびこ」ともいう。楫取魚彦は雅名で、本姓は伊能、名は景豊(かげとよ)、のち景良。青藍(せいらん)、茅生庵(ちぶあん)などと号した。享保(きょうほう)8年3月2日、下総(しもうさ)国香取(かとり)郡佐原村(千葉県香取市佐原)に生まれ、6歳のとき父を失い、祖父に養われた。若いころ俳人として知られ、建部綾足(たけべあやたり)と交渉をもって画道や片歌にも親しむ。1760年(宝暦10)賀茂真淵(かもまぶち)に入門して、国学や和歌を学んだ。65年(明和2)には家業を子に譲って江戸に出、真淵の近くに住んだ。入門は遅かったが、よく真淵の学風を体し、万葉調の作歌にも秀でて、県門十二大家の一人に数えられる。真淵の没後、県居(あがたい)派で魚彦に従学する者が多く、とくに豊前(ぶぜん)中津侯からは夫妻とも眷顧(けんこ)を受けた。『古言梯(こげんてい)』『楢(なら)の嬬手(つまで)』『続冠辞考(ぞくかんじこう)』『冠辞懸緒(かけお)』『万葉集千歌』などの学書のほか、歌集『楫取魚彦家集』(県門遺稿第4集)『大船楫取雑集』や歌文集『楫取魚彦遺稿』(香取四家集)などの著がある。天明(てんめい)3年3月23日没。[井上 豊]
『木村捨三著『楫取魚彦』(『国学者研究』所収・1943・北海出版社)』

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367日誕生日大事典の解説

楫取魚彦 (かとりなひこ)

生年月日:1723年3月2日
江戸時代中期の国学者
1782年没

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世界大百科事典内の楫取魚彦の言及

【辞書】より

…谷川士清(ことすが)の《和訓栞(わくんのしおり)》93巻(1777(安永6)以後の刊行)は古語のほか俗語方言なども収め,五十音順であり,太田全斎の《俚言(りげん)集覧》(増補本は1900)は俗語を集めたもので,アカサ…イキシ…の順で並べてある。 このほか特殊辞書には,語源辞書として松永貞徳の《和句解》(1662∥寛文2),貝原益軒の《日本釈名》(1700∥元禄13),新井白石の《東雅》(1717(享保2)成立),契沖の提唱した歴史的仮名遣いを整理増補した楫取魚彦(かとりなひこ)の《古言梯》(1764(明和1)成立),方言辞書で越谷吾山《物類称呼》5巻(1775∥安永4),類書として寺島良安の《和漢三才図会(ずえ)》105巻(1712(正徳2)成立),山岡浚明の《類聚名物考》(1903‐05)などがある。
[明治時代以後]
 ヨーロッパの辞書の影響を受けて,その体裁にならった辞書が生じた。…

※「楫取魚彦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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