朝日日本歴史人物事典 「加藤曳尾庵」の解説
加藤曳尾庵
生年:宝暦13(1763)
江戸中期の医師,俳諧宗匠。名は玄亀,別号に南竹軒も用いる。水戸藩士沼田直充の3男。両親と共に江戸へ出府,天明8(1788)年,致仕してのちは心の赴くまま諸国を遊歴した。寛政8(1796)年以降は江戸へ戻り,大田南畝,山東京伝,渡辺崋山ら江戸在住の名家たちと交流を重ねた。医学は山本永春院に学び,玄亀を称した。一時三河田原藩医を務めたこともあった。主著は『我衣』(写本,19巻21冊)といい,寛永より宝暦までの世態風俗を記した書からの抄出と,化政期の同種の風聞などを年代順に配列した風俗随筆。他に,『曳尾庵雑記』『曳尾庵筆記』なども写本で伝わる。<著作>『我衣』(『日本庶民生活史料集成』15巻)
(ロバート・キャンベル)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報