20世紀日本人名事典 「加藤雛子」の解説 加藤 雛子カトウ ヒナコ 明治期の女性 帝国女優養成所副所長。 生年安政4年10月(1857年) 没年明治42(1909)年12月10日 出生地江戸・浅草(東京都台東区) 経歴東京・中洲にある辰巳屋の女将。男勝りで俠気に富むことで知られる。明治41年川上貞奴が帝国劇場の援助で設立した帝国女優養成所を支援し、その副所長に就任。以来、女優の養成と劇界の改革に心血を注ぎ、第一期生として入所してきた森律子・河村菊江らを育てた。42年8月演劇事情を視察するため欧米へ外遊するが、その途上アメリカ・ボストンで客死。佐佐木信綱の竹柏園系の歌人としても知られる。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「加藤雛子」の解説 加藤雛子 かとう-ひなこ 1857-1909 明治時代の女性。安政4年10月生まれ。東京中洲(中央区)の辰巳屋の女将(おかみ)。明治41年川上貞奴(さだやっこ)が帝国劇場の補助金で設立した帝国女優養成所の副所長となる。欧米の演劇界視察で外遊中,明治42年12月10日ボストンで病死。53歳。江戸出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by