森律子(読み)モリ リツコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「森律子」の解説

森 律子
モリ リツコ


職業
女優

生年月日
明治23年 10月30日

出生地
東京市 京橋区(東京都 中央区)

学歴
跡見女学校卒,帝国劇場附属技芸学校(第1期生)〔明治43年〕卒

経歴
弁護士の娘で、跡見女学校卒業後、帝劇附属技芸学校に学ぶ。同校の第1期生11人中のスター的存在で、明治44年帝劇開場公演に「頼朝」の浦代姫で初舞台。だが女優になったというだけで、母校・跡見女学校の卒業生名簿からは除名され、また弟が姉が女優になったのを苦に自殺するという騒ぎが起きた。美貌の大柄女優として帝劇女優中随一といわれ数多くの大役をこなしたが、なかでも帝劇の名物であった「益田太郎冠者」の喜劇精彩を放った。大正2年演劇見学のため渡欧。帰国後は松竹に移り、主として新派の舞台に出ていたが、健康を害して退社する。その後、昭和31年神奈川県の小田原で女舞を伝える桐座名跡を興したが、5年後に死去した。著書に「女優生活二十年」がある。

没年月日
昭和36年 7月22日 (1961年)

家族
養女=森 赫子(女優)

伝記
喜劇の殿様―益田太郎冠者伝愛ひびきあう―近代日本を奔った女たち大正の演劇と都市花を投げた女たち―その五人の愛と生涯泣きどころ人物誌 高野 正雄 著永畑 道子 著大正演劇研究会 編永畑 道子 著戸板 康二 著(発行元 角川書店筑摩書房武蔵野書房文芸春秋文芸春秋 ’02’96’91’90’87発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「森律子」の解説

森 律子
モリ リツコ

明治〜昭和期の女優



生年
明治23(1890)年10月30日

没年
昭和36(1961)年7月22日

出生地
東京府京橋区(現・東京都中央区)

学歴〔年〕
跡見女学校卒,帝国劇場附属技芸学校(第1期生)〔明治43年〕卒

経歴
弁護士の娘で、跡見女学校卒業後、帝劇附属技芸学校に学ぶ。同校の第1期生11人中のスター的存在で、明治44年帝劇開場公演に「頼朝」の浦代姫で初舞台。だが女優になったというだけで、母校・跡見女学校の卒業生名簿からは除名され、また弟が姉が女優になったのを苦に自殺するという騒ぎが起きた。美貌の大柄女優として帝劇女優中随一といわれ数多くの大役をこなしたが、なかでも帝劇の名物であった「益田太郎冠者」の喜劇で精彩を放った。大正2年演劇見学のため渡欧。帰国後は松竹に移り、主として新派の舞台に出ていたが、健康を害して退社する。その後、昭和31年神奈川県の小田原で女舞を伝える桐座の名跡を興したが、5年後に死去した。著書に「女優生活二十年」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「森律子」の意味・わかりやすい解説

森律子 (もりりつこ)
生没年:1890-1961(明治23-昭和36)

近代日本の女優。弁護士森肇の娘で東京生れ。跡見女学校卒業後,1908年帝国劇場女優養成所に1期生として入所。11年帝国劇場開場時の山崎紫紅作《頼朝》の浦代姫で初舞台を飾った。13年に渡欧してロンドン,パリの演劇事情に触れ,帰国後は帝劇の近代喜劇で活躍した。のちに新派劇にも出演し,34年井上正夫の井上演劇道場にも参加している。帝劇女優群のスターで,女優が蔑視される風潮に抗した近代女性の一人である。失明した新派女優の森赫子(かくこ)は養女である。《女優生活廿年》(1930)の著書もある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「森律子」の意味・わかりやすい解説

森律子
もりりつこ

[生]1890. 東京
[没]1961.7.22. 東京,府中
女優。代議士の森肇の次女として生れ,跡見女学校卒業。 1908年,開所した川上貞奴の女優養成所に入り,11年3月帝国劇場の初興行『頼朝』の浦代姫でデビュー,帝劇女優劇のスターとなった。 35年帝劇が改組となり専属劇団を解散してから新派に出演していたが,44年東京劇場を最後に劇界から遠ざかった。 56年4月小田原文化財の桐家名跡再興のため4代目桐大内蔵を襲名。著書に『女優生活二十年』がある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「森律子」の解説

森律子 もり-りつこ

1890-1961 明治-昭和時代の舞台女優。
明治23年10月30日生まれ。川上貞奴(さだやっこ)の帝国女優養成所にはいり,明治44年帝劇女優1期生として初舞台をふむ。益田太郎冠者(たろうかじゃ)作の女優劇ではめだって活躍,のち新派に出演した。昭和31年女舞の名跡(みょうせき),桐大内蔵(きり-おおくら)4代をつぐ。昭和36年7月22日死去。70歳。東京出身。跡見女学校卒。著作に「女優生活廿年」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「森律子」の解説

森 律子 (もり りつこ)

生年月日:1890年10月30日
明治時代-昭和時代の舞台女優
1961年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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