加賀町(読み)かがちよう

日本歴史地名大系 「加賀町」の解説

加賀町
かがちよう

[現在地名]中央区銀座ぎんざ七丁目

南佐柄木みなみさえき町の南に続く両側町。東は惣十郎そうじゆうろう町、西は山城やましろ町。町名は慶長八年(一六〇三)の江戸市街整備の折に役夫を出した国名をとって付けられたという(徳川実紀)。承応江戸絵図に「かゝ丁」とみえ、安永三年小間附町鑑によれば京間一二四間一尺五寸、公役銀を納めていた。名主草創名主の田中平四郎(同小間附町鑑、宝暦七年万世町鑑など)。元禄二年(一六八九)の江戸図鑑綱目によれば歯医師兼康永見、能太鼓観世佐吉が居住していた。


加賀町
かがまち

[現在地名]村上市加賀町

庄内しようない町の北側家並の裏手に位置し、久保多くぼた町と庄内町境の枡形から西へ一町三一間延び、しお町と接する。創立松平直矩の在城時代と伝えられる(宝永二年「村上城主歴代譜」)。宝永二年(一七〇五)には家数二九(「寺社旧例記」北方文化博物館蔵)。文政年間(一八一八―三〇)の当町絵図家業附(東京大学法学部史料室蔵)には三一軒半・竈数六九とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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