朝日日本歴史人物事典 「松平直矩」の解説
松平直矩
生年:寛永19.10.28(1642.12.19)
江戸前期の播磨姫路,越後村上,豊後日田,出羽山形,陸奥白河藩主。芝居愛好者としても知られる。大和守。松平直基の長男。越前大野生まれ。父は,家康の孫,越前結城秀康の5男。慶安1(1648)年父の遺跡姫路15万石を襲封。翌年村上,寛文7(1667)年姫路に転封。天和1(1681)年越後騒動で処罰された一門の越後高田藩主松平光長に連座して閉門,翌年日田7万石に減封,貞享3(1686)年山形10万石を経て,元禄5(1692)年白河15万石で石高が復した。数度の転封で藩財政は窮乏,藩士も困窮して,領内に苛酷な政治を敷いたが,自身は江戸を離れず,芝居見物や文芸に熱中していたことが,日記から知られる。<著作>『大和守日記』(『日本庶民文化史料集成』12巻)<参考文献>『福島県史』
(根岸茂夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報