松平直矩 まつだいら-なおのり
1642-1695 江戸時代前期の大名。
寛永19年10月28日生まれ。松平直基(なおもと)の長男。慶安元年7歳で播磨(はりま)(兵庫県)姫路藩主。翌年越後(えちご)村上に移封(いほう),寛文7年姫路にもどる。宗家の越後(えちご)騒動に関係して閉門となり,元和(げんな)2年7万石に減じられて豊後(ぶんご)日田(ひた)にうつされる。出羽(でわ)山形藩をへて,元禄(げんろく)5年陸奥(むつ)白河藩(福島県)藩主松平(越前(えちぜん))家初代となる。15万石。歌舞伎を愛し「松平大和守日記」をのこした。元禄8年4月15日死去。54歳。
【格言など】白河の関守る神の我を待て散る紅葉葉(もみぢば)をとめて見すらん(辞世)
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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松平直矩 (まつだいらなおのり)
生年月日:1642年10月28日
江戸時代前期の大名
1695年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の松平直矩の言及
【松平大和守日記】より
…江戸前期の大名の日記。松平大和守直矩(なおのり)が1658年(万治1)17歳から95年(元禄8)54歳で没するまで書き続けた生活記録。通称《大和守日記》《直矩日記》。内容は,公式行事,私生活にわたって詳しい。特に屋敷に芸能人を招いての観劇記録は,近世演劇研究の一等資料として,利用価値が高い。ほかに,頻出する鷹狩の記録,越後騒動に関する記事,野々口立甫(ののぐちりゆうほ)に関する記述など,近世文芸や歴史研究に資するところの多い貴重な資料である。…
※「松平直矩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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