松平直矩(読み)まつだいら・なおのり

朝日日本歴史人物事典 「松平直矩」の解説

松平直矩

没年:元禄8.4.15(1695.5.27)
生年:寛永19.10.28(1642.12.19)
江戸前期の播磨姫路,越後村上,豊後日田,出羽山形,陸奥白河藩主。芝居愛好者としても知られる。大和守。松平直基の長男。越前大野生まれ。父は,家康の孫,越前結城秀康の5男。慶安1(1648)年父の遺跡姫路15万石を襲封。翌年村上,寛文7(1667)年姫路に転封。天和1(1681)年越後騒動で処罰された一門の越後高田藩主松平光長に連座して閉門,翌年日田7万石に減封,貞享3(1686)年山形10万石を経て,元禄5(1692)年白河15万石で石高が復した。数度の転封で藩財政は窮乏,藩士も困窮して,領内に苛酷な政治を敷いたが,自身は江戸を離れず,芝居見物文芸に熱中していたことが,日記から知られる。<著作>『大和守日記』(『日本庶民文化史料集成』12巻)<参考文献>『福島県史

(根岸茂夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松平直矩」の解説

松平直矩 まつだいら-なおのり

1642-1695 江戸時代前期の大名
寛永19年10月28日生まれ。松平直基(なおもと)の長男。慶安元年7歳で播磨(はりま)(兵庫県)姫路藩主。翌年越後(えちご)村上に移封(いほう),寛文7年姫路にもどる。宗家の越後(えちご)騒動に関係して閉門となり,元和(げんな)2年7万石に減じられて豊後(ぶんご)日田(ひた)にうつされる。出羽(でわ)山形藩をへて,元禄(げんろく)5年陸奥(むつ)白河藩(福島県)藩主松平(越前(えちぜん))家初代となる。15万石。歌舞伎を愛し「松平大和守日記」をのこした。元禄8年4月15日死去。54歳。
格言など】白河の関守る神の我を待て散る紅葉葉(もみぢば)をとめて見すらん(辞世)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「松平直矩」の解説

松平直矩 (まつだいらなおのり)

生年月日:1642年10月28日
江戸時代前期の大名
1695年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の松平直矩の言及

【松平大和守日記】より

…江戸前期の大名の日記。松平大和守直矩(なおのり)が1658年(万治1)17歳から95年(元禄8)54歳で没するまで書き続けた生活記録。通称《大和守日記》《直矩日記》。内容は,公式行事,私生活にわたって詳しい。特に屋敷に芸能人を招いての観劇記録は,近世演劇研究の一等資料として,利用価値が高い。ほかに,頻出する鷹狩の記録,越後騒動に関する記事,野々口立甫(ののぐちりゆうほ)に関する記述など,近世文芸や歴史研究に資するところの多い貴重な資料である。…

※「松平直矩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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