勅使河原渡(読み)てしがわらのわたし

日本歴史地名大系 「勅使河原渡」の解説

勅使河原渡
てしがわらのわたし

神流かんな川を渡河する中山道の渡し。東岸の勅使河原村と西岸の上州新町しんまち宿(現群馬県新町)を結ぶ。天保年間(一八三〇―四四)に渓斎英泉が描いた「木曾街道六十九次」本庄宿神流川渡場図によると、勅使河原村の河原から川の中洲まで架橋され、中洲から新町宿の河原までが渡船となっている。一方、分間延絵図では中洲の両側に仮土橋が描かれ、「此川常水之節ハ仮土橋、出水之節ハ船越ニ成、川幅二十間余ニ成リ川留」と記される。元禄年中改定図(風土記稿)には、「勅使河原村ノ内勝場村ヨリ上野国笛木新町迄十四町ヨ」とみえる。古くから渡船の川役は勅使河原村が新町宿の伝馬助郷とともに勤めていたが、度重なる氾濫のため勅使河原村一村での川越役は困難となり、寛保三年(一七四三)道中奉行に勤役補助を願出たが、なんの決定もみるに至らなかった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報