勅使河原村(読み)てしがわらむら

日本歴史地名大系 「勅使河原村」の解説

勅使河原村
てしがわらむら

[現在地名]上里町勅使河原

神流かんな川の右岸帯刀たてわき村・つつみ村の北に位置する。中山道が東の金窪かなくぼ村から村内に入り、神流川の渡(勅使河原渡)を経て上野国緑野みどの新町しんまち宿(現群馬県新町)に至るが、村内の街道脇に一里塚があった(分間延絵図)。丹党勅使河原氏名字の地とされる。丹党系図(諸家系図纂)によると、丹氏一族の基房(丹党の祖とされる武信から七代目)の子息直時が勅使河原氏を称している。長野勅使河原系図(長野県勅使河原家蔵)には、承保二年(一〇七五)四月二日に「卜地同国加美郡勅使河原邑移居、則以地名為家号」とみえる。寿永三年(一一八四)の木曾義仲追討には勅使河原五三郎有直が加わっており(「平家物語」巻九)、「源平盛衰記」巻三五(東使戦木曾事)には「有直は、木蘭地の直垂に、黒糸縅の冑に白星の甲」と描かれている。有直はその後、文治元年(一一八五)源頼朝の使節として上洛、頼朝による鎌倉勝長寿しようちようじゆ院供養に供奉、同三年鎌倉鶴岡八幡宮放生会の流鏑馬の的立を勤め、同五年の奥州合戦に出陣するなどしている(吾妻鏡)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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