新町宿(読み)しんまちしゆく

日本歴史地名大系 「新町宿」の解説

新町宿
しんまちしゆく

[現在地名]新町

中山道の上州七宿の一つ。江戸より二四里、東の本庄ほんじよう宿(現埼玉県本庄市)より二里、西の倉賀野くらがの宿(現高崎市)へ一里半に位置する。西部を温井ぬくい川が北流してからす川に合して東流し、東部を北流する神流かんな川を東北部で合する。慶安四年(一六五一)落合おちあい(落合新町)笛木ふえき(笛木新町)伝馬役を命ぜられて宿場を成立させ、両町を併せた新宿は新町・新宿などとよばれていたが、元文年間(一七三六―四一)に新町宿とされたという。烏川を渡り倉賀野宿と結ぶ渡船場があった。

寛文郷帳には幕府領・旗本稲垣領の二給の笛木村、幕府領・旗本加藤領の二給の落合新町が記され、元禄郷帳では落合新町は同様であるが笛木村はみえず、幕府領の笛木新田となっている。その後も両町は行政上では半ば独立していたらしく、天保郷帳などにも両町を別に記す。嘉永五年(一八五二)の新町宿明細帳(吉井町郷土資料館蔵)によると、元禄四年(一六九一)検地として落合新町は田方一二町五反四畝余・畑方三六町五反三畝余、笛木新町は皆畑で八〇町五反四畝余でともに幕府領で、両町入会地の九町四反六畝余が旗本加藤領とある。慶安四年に両町は伝馬役を命ぜられ、笛木新町は新町並整備のために移転が遅れて承応二年(一六五三)より勤めている(安永九年「田口氏留書」田口文書)。宿は地子免許がなく、東西六九八間余、両町境に高札場が設けられ、本陣二・脇本陣一が落合新町にあり、両町合せて四二、三軒の旅籠屋があった(中山道宿村大概帳など)。また神流川の流路が変わるため、その度に橋や渡船場の位置が変更し、白昼でも道筋がわかりにくいということで宿端に常夜灯が置かれていた(文化五年「常夜灯再建願」田口文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の新町宿の言及

【新町[町]】より

…神流川沿いに陸上自衛隊の駐屯地,烏川沿いに上武大学がある。【千葉 立也】
[新町宿]
 烏川と神流川の合流点に位置する中山道の宿駅。1651年(慶安4)に落合村(旗本領)と笛木村(天領)が合体して宿が形成され,元禄(1688‐1704)ころまでは新宿(しんしゆく)といわれた。…

※「新町宿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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