勝原村(読み)かつはらむら

日本歴史地名大系 「勝原村」の解説

勝原村
かつはらむら

[現在地名]山添村大字勝原

切幡きりはた村東北方、遅瀬おそせ川東にある。応永六年(一三九九)の興福寺造営段米田数帳(春日神社文書)に「(葛カ)原庄 八町」がみえる。「大乗院雑事記」明応六年(一四九七)一二月二日条に「桂原」と記す。勝原は葛原かつらはらの略か。「大和国山辺郡三ケ谷七郷由来記勝原ノ記」には勝原を三ヶ谷七郷の祖という。「国民郷士記」は当地に興った勝原肥前・勝原清定らが当村中央の城山に拠ったと伝える。

慶長郷帳の村高一八〇・四三石、うち九二・三三石「勝原村」は旗本筒井正次領、八八・一石「かつわら」は田屋又助(不詳)領。元和郷帳では筒井氏領は幕府領(代官間宮三郎右衛門)となり、田屋又助領はうち二〇石が幕府領(代官楢村孫兵衛)、六八・一石が旗本楢村孫七郎領となっている。

勝原村
かつぱらむら

[現在地名]美並村大原おおはら 勝原

長良川左岸にあり、北の上流大矢おおや村、下流河和上こうわかみ(現美濃市)との間に、勝原口番所があった。慶長郷帳に神原村とあり、高一九六石余。元和二年(一六一六)村高領知改帳では「かたはら村」とある。正保郷帳では田方二三石余・畑方一七〇石余。宝暦六年(一七五六)の郡上郡村高覚帳(鈴木文書)では家数三八(水呑一一)、年貢米三九石余。安永二年(一七七三)の郡上領留記(大西文書)は下川筋川東に位置づけ、横越小渡舟一・瀬取舟一があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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