勝山館(読み)かつやまだて

日本の城がわかる事典 「勝山館」の解説

かつやまだて【勝山館】

北海道南部、松前半島西岸の上ノ国(かみのくに)町に残る中世の城館跡。国指定史跡。曲輪(くるわ)、土塁、空堀、井戸跡などが残り、史跡公園として整備されて碑や説明板が設置されている。築城年代、築城者は確定されていないが、15世紀後半の城館と推定され、北海道南部にあった松前藩藩主の一族松前氏(蠣崎(かきざき)氏)の祖の武田(蠣崎)信廣が築城したといわれる。1457年(長禄1)のコシャマインの乱を鎮圧した信廣は天の川河口北岸に洲崎館を建設して、ここを居館としたが、その後、この地に大規模な館を築いて、これを本拠とした。信廣の死後、第2代の武田(蠣崎)光廣は松前大館(松前郡松前町神明)に館を移し、勝山館には次子・高廣を城代として配置した。以後、勝山館は蠣崎氏(のちの松前氏)の副城的な存在となった。蠣崎氏は豊臣秀吉から朱印状を受け、安東氏から独立して松前氏と改名して蝦夷地支配に乗り出し、1604年(慶長9)には徳川家康から蝦夷地交易の全権をゆだねられて松前藩を立藩する。このころには勝山館の使命は終わり廃城となった。1979年(昭和54)から上ノ国町教育委員会による発掘調査が行われており、広範かつ活発な交易活動を示す約7万点の出土品があり、多数重要文化財に指定されている。現地には町営の勝山館跡ガイダンス施設がある。上ノ国町の市街から車で約10分。◇和喜館(わきだて)ともいう。

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百科事典マイペディア 「勝山館」の意味・わかりやすい解説

勝山館【かつやまたて】

道南十二館

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世界大百科事典(旧版)内の勝山館の言及

【上ノ国[町]】より

…石崎川の上流にある上国(じようこく)鉱山は日本でも数少ないマンガン鉱山として知られる。15世紀に和人が蝦夷地進出の拠点として道南に築いた12の砦を十二館と総称したが,そのうち最北に位置した花沢館,松前氏400年の最初の居城となった勝山館(跡地はいずれも国の史跡),同じく中世の夷王山墳墓群(仏教式の火葬墳墓群),北海道最古で15世紀建立と伝えられる上国寺など,史跡,文化財が多い。【奥平 忠志】。…

※「勝山館」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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