勝幡寺(読み)しようまんじ

日本歴史地名大系 「勝幡寺」の解説

勝幡寺
しようまんじ

[現在地名]島本町山崎

真言宗東寺派。瑠璃光山と号し、本尊薬師如来木造等身の立像で鎌倉時代末の作。行基自作で、後述の若山わかやま神社の神体と同木との伝えをもつ。俗に洞薬師ほらやくしとよばれる。寺の縁起は養老三年(七一九)行基開基というが、天平勝宝元年(七四九)創建とも伝える。鳥羽天皇崇敬あつかったが、永正一三年(一五一六)堂宇焼失。その後当地の井上道西なる者が再興したという(大山崎史叢考)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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