日本歴史地名大系 「勝徳寺」の解説 勝徳寺しようとくじ 新潟県:新井市吉木村勝徳寺[現在地名]新井市吉木 下ノ寺吉木(よしき)集落の南東に建ち、本鳥山と号し、浄土真宗本願寺派、本尊阿弥陀如来。下総国香取(かとり)郡霞浦(かすみがうら)に居住していた伊砂民部大輔源勝行が、親鸞の弟子となって行応と改名し、明応年間(一四九二―一五〇一)七世衍俊が信濃国水内(みのち)郡平出(ひらいで)村(現長野県上水内郡牟礼村)に一寺を建立、天文年間(一五三二―五五)に同郡荒瀬原(あらせはら)村(現上水内郡信濃町)に移り、慶長二年(一五九七)九世慶俊のとき、頸城(くびき)郡南中島(みなみなかじま)村(現中頸城郡板倉町)に移り、さらに元和三年(一六一七)一一世了念のとき現在地に移った。 勝徳寺しようとくじ 愛知県:岡崎市本宿村勝徳寺[現在地名]岡崎市本宿町 寺山浄土宗西山派本宿(もとじゆく)の二村山法蔵(ほうぞう)寺のもと末寺で、二村山嘉勝(かつしよう)軒と二村山威徳(いとく)院が昭和二七年(一九五二)に合寺となった。本尊は阿弥陀如来。嘉勝軒は大永二年(一五二二)に法蔵寺第六世の兼翁洞雲が法蔵寺の隠居寺として建立。徳川家康は、竹千代時代にここで学んだ。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by