勝楽町(読み)かつらくまち

日本歴史地名大系 「勝楽町」の解説

勝楽町
かつらくまち

[現在地名]角館西勝楽にしかつらく

外町に属し、角館かくだて町の西に位置し、北は七日なのか町、東は下中しもなか町と接する。同名の勝楽町は内町にもある。

宝永二年(一七〇五)の家数五一軒(角館誌)、享保八年(一七二三)の仙北郡郡村本村支村御高調帳(秋田県庁蔵)には家数五八軒、駅馬役の負担はない。天正年間(一五七三―九二)戸沢氏時代にかつらく村(「出羽国仙北之内北浦郡御検地目録帳」戸沢文書)とよばれ、新城下町建設の際勝楽山成就じようじゆ院がこの地に移転し、勝楽町と名付けられたという(角館誌)

勝楽町
かつらくちよう

[現在地名]角館町東勝楽丁ひがしかつらくちよう

内町の一町で、南は外町と境する火除けが東西に走る。そのほぼ中央に外町へ通ずる門があり、門から北への道の両側に侍屋敷が並ぶ。東はやま通、西は小人こびと町。勝楽町は外町にもある。

勝楽町には真壁右衛門八〇〇石、大山治兵衛七〇〇石、今宮又三郎四六〇石、今宮勘解由三六〇石など大身の秋田藩給人屋敷があり、旧蘆名家家臣の屋敷と比べ間口格段に広い。通りの西側は旧蘆名家家臣の屋敷が並び、東の山ノ根通との間には漆原うるしはら町・御馬屋丁おうまやちようと称する馬屋衆や足軽屋敷、小者らの長屋があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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