勝浦城跡(読み)かつうらじようあと

日本歴史地名大系 「勝浦城跡」の解説

勝浦城跡
かつうらじようあと

[現在地名]勝浦市浜勝浦

勝浦湾の南端に突き出た八幡はちまん岬の断崖絶壁上に立地し、真里谷武田氏の築城とされる中世の城跡。のち正木氏の拠点となる。天慶期(九三八―九四七)興世王が築き、文治期(一一八五―九〇)上総介広常の一族が入ったという伝承がある。また大永元年(一五二一)真里谷まりやつ(現木更津市)城主武田信興が安房里見氏の進攻に備えて小田喜おだき(現大多喜町)を次男信清に築かせたとき、勝浦にも砦を築かせたとも伝える。正木家譜によれば天文一〇年(一五四一)頃正木時忠が天津あまつ(現天津小湊町)の武田朝信を攻めた際、興津おきつ・勝浦の城には朝信の残党がなお立籠ったとあり、武田氏の拠点の一つであったことがうかがえる。同一三年八月武田氏は苅谷かりやヶ原(現夷隅町)での戦いで正木氏に敗れ、夷隅いすみ西半一帯は里見氏の勢力下になり、小田喜城には里見方の正木時茂、当城にはその弟時忠が入城したという(「里見九代記」など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報