勝浦湊(読み)かつうらみなと

日本歴史地名大系 「勝浦湊」の解説

勝浦湊
かつうらみなと

[現在地名]勝浦市浜勝浦など

三方房総丘陵の山に囲まれた勝浦湾(三日月湾)の東手を占める湊。浜勝浦はまかつうら(勝浦湊)虫浦むしうら湊がある(天保七年「浜勝浦村書上帳」久我家文書)。寛政五年(一七九三)川津村外七ヶ村海丈書上帳(遠見岬神社文書)によれば勝浦湊は横一五間、沖より渚まで四〇間、深さ二尋で、二〇〇石積船三艘が係留できるという。虫浦湊は湊口の広さ四五間・南北五二間、深さ五尋で、八〇〇石積船三艘の係留が可能とある。両湊とも南西風で入津し、北東風で出航するのが好都合であったが、何風でも船泊りできる良港であった(前掲書上帳)。当湊を拠点にして天正一一年(一五八三)頃鰯網漁が始まったとされるが(真光寺文書)、本格的には元和年間(一六一五―二四)の関西漁民の進出以降と思われる。寛永九年(一六三二)免状(富津漁業史)勝浦村後出千之助が署名しており、当時鰯網漁が行われ、幕府の保護を受けていた。享保六年(一七二一)までは勝浦藩領内の七浜(浜勝浦・串浜・松部・新官郷・沢倉・部原・鵜原の七村の浜か)の鰯漁は伊勢屋仁兵衛が賄ってきたが、同年から運上金年五五〇両の請浦に定められ、守谷もりや村忠兵衛と内浦うちうら(現天津小湊町)弥一右衛門、江戸本郷ほんごうの大黒屋八郎兵衛の三名が三年賦で請負った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android